春は、香りとともに。




 ***

 
 あれから、志野子はほぼ毎日のように香道教室へ通っていた。
 弟子としてというより、もう一人の“聞き手”として、惟道の香席に並ぶようになった。

 彼女が香を「読む」姿には、どこか凛とした気配があった。
 香炉を受け取る手が細く、白く、けれど迷いがない。
 その動きのたびに、室内の空気が少しだけ澄んでいくのが分かるほどだった。


「志野子さん、今宵は“初桜”にしましょう」


 惟道が選んだのは、桜の樹皮を乾燥させた、やや甘く、青い香りを放つ香。


「桜は好きでしたか?」

「……満開より、咲きかけが好きです。咲く前の、きゅっと結んだ蕾の姿が」

「それは、あなた自身のようですね」


 その言葉に、志野子は一瞬息を呑んだ。
 けれどすぐに目を伏せ、香炉を静かに受け取った。
 

「……蕾のまま終わることも、ありますわ」

「いいえ。咲くときが来るまで、香り続ける花もある。あなたは、そういう花です」


 この人は――どうしてこんなにも、
 心の深い場所に触れるような言葉を、自然に言えるのだろう。

 志野子は、心臓の奥が熱くなっていくのを感じていた。