春は、香りとともに。




 「ご案内していただけると、聞きまして」

 「ええ。……桜、まだ散っていないようで安心しました」

 「……ええ」


 彼女が笑う。
 夜の灯に照らされたその笑顔は、どこか切なげで、それでいて希望のようでもあった。


 ふたり並んで歩く庭の小道。
 かつては格式ある石畳だったが、今はすこし苔むしていた。

 それでも、ふたりの足音はやさしく響いた。
 まるで互いに互いの歩幅を確かめ合うように。


 「先生……この邸宅、覚えていますか?」

 「いいえ。わたしが訪れたのは、香道のお稽古した時が最後です。その時も、ただお部屋の中で……。庭に出ることなど、許されませんでした」


 「……そうだったのですね」


 志野子は、桜の木の下で立ち止まる。
 花びらが一枚、肩に落ちた。


 「春になるたび、父がここでよく私を見つけてくれました。でも、春が過ぎると、父は決まって旅に出てしまうんです」


 その瞳が揺れる。


 「きっと、わたしは父の中では“桜の季節の娘”だったのかもしれません。
  それでも……最後に手紙をくれた。……私の名前を呼んで」


 
 惟道は、そっと彼女の隣に立つ。