春は、香りとともに。




 しばらく、ふたりは黙って庭を見ていた。

 やがて志野子が、ぽつりと語り出した。


 「父から……手紙が届きました」


 惟道は驚かなかった。ただ、ゆっくりと頷いた。


 「そうでしたか」

 「……情けない言葉ばかりでした。男爵としても、父としても、何も守れなかったと。でも――どこかで、救われた気がしたんです」

 「志野子さんが、赦したのですね」

 「赦せた……のかな。まだ、わかりません。でも……もう、怒っていない気がします」


 志野子はそっと、惟道の方へ視線を向けた。
 彼は、月明かりの中で穏やかに湯呑を見つめる。



 「先生、わたし……ずっと迷っていたんです。
 誰かに頼ることも、誰かと未来を考えることも。怖くて……信じられなくて」

 「……はい」

 「でも、今は違うんです。――わたし、先生と生きたい。
  この先、どんなことがあっても、そばにいたいって、そう思うようになりました」


 惟道が、少しだけ目を見開く。そして、やわらかく笑った。



 「それは、わたしの願いでもあります」


 手が、そっとふれた。