春は、香りとともに。




「志野子さん。……あなたには、香を“聞く”力がある」


 その声は、以前と同じように穏やかで、けれど確信に満ちていた。


「どうして、分かるのです?」

「香は、心の静けさに宿るんです。あなたの中には、たくさんの喪失がある。けれど、それを憎まず、愛そうとしている。……そういう人が、香に触れると、香もまた応えてくれるのです」


 志野子の胸が、かすかに痛んだ。

 “喪失を憎まず、愛そうとしている”。

 それは、これまで誰にも言われたことのない言葉だった。
 惟道の瞳の奥に、自分の深い場所を見られたような、そんな気がして――志野子は、そっと顔を伏せた。