春は、香りとともに。





 その翌日。
 志野子が洗濯物を取り込んでいると、惟道がふいに声をかけてきた。


 「……志野子さん、少しだけ時間をいただけますか」

 「はい?」


 彼は、引き戸の陰から、小さな紙包みを差し出した。
 麻の紐で結ばれたその包みには、ほんのりと香がついていた。


 「これは……?」

 「返礼です。昨日の、あなたの贈り物に」


 志野子がそっと包みを開くと、そこには薄い桜色の文香が入っていた。
 文に挟む小さな香袋――香道を嗜む者がよく使う、気持ちを届けるための小さな道具。


 「先生……これ、ご自分で調合を?」

 「はい。ご記憶かもしれませんが、以前、好きだと言っていたものです」

 「ええ、覚えています。……先生の香り、わたし、忘れられませんでした」


 惟道が微笑む。


 「これは、落ち着きと静けさを主にした調合です。
  忙しい日々の中、少しでも“自分の心に戻れるように”と思って」


 志野子は、胸がいっぱいになっていた。
 その香りは、彼女がこれまで求めてきた“安心”そのもののようだった。