春は、香りとともに。




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 セツは、志野子がまだ“姫さま”と呼ばれていた時代から仕えている。
 歳は志野子より六つ年上。武家出の厳格な女中頭に叩き込まれたその言葉遣いは、令嬢の志野子よりもよほど品があり、口を開けば誰もが「女中とは思えぬ」と言った。

 けれど、長屋に越してからのセツは、まるで別人だった。


「味噌は、こっちのほうが三銭安うございます。味はちと落ちますけど、お嬢さまの口に合わぬなら、大根を漬けて調えましょう」

「大根で味噌の味が変わるの?」

「変わりますとも。庶民の工夫は、時に料理人を超えるんです」


 あの格式高かったセツが、今や魚屋で値切り、近所の子どもたちにあめ玉を配る始末。
 志野子は時折、信じられないという顔をするが、セツは涼しい顔でこう言った。

「お嬢さま。これが“ほんとうの暮らし”なのです」