春は、香りとともに。




 「先生の役に立てるなら、それだけで……」


 惟道が、その言葉を制するように首を振った。


 「志野子さん、あなたは“役に立つ”からここにいるのではありません。
  あなたがいることで、この家が“呼吸”をしているんです。
  あなたが笑うと、風が通る。あなたが縫えば、空気があたたかくなる」


 志野子の目から、涙が零れた。
 静かに、音もなく、頬を伝う。


 「……そんなふうに、思ってくださってたんですか……?」
 

 惟道は、そっと彼女の手を握った。


 「あなたの存在が、私を生かしている。
  私は……あなたに、いてほしい。心から、そう思っています」


 その言葉は、ゆっくりと、志野子の胸に染み込んでいった。
 しんとした夜の空気の中で、ふたりはただ見つめ合っていた。