春は、香りとともに。




 そう、思ったのだ。
 惟道の手を、なるべく煩わせたくなかった。

 あの人は、静かな時間を愛している。
 香に集中している姿を見るたび、胸が熱くなる。
 邪魔してはいけない。甘えすぎてはいけない。

 ――けれどそれは、優しさではなく、どこか“自己否定”に近いものだったのかもしれない。


 日が傾くにつれて、体のだるさが増していく。
 椅子に座ったまま、いつの間にか意識が遠のきそうになった。


 「……志野子さん?」


 声がした気がした。
 でも、返事ができない。

 重たい布のような眠気に飲み込まれて――
 ふっと体が前へ倒れかけた、その瞬間。


 「……っ、志野子さん!」
 

 誰かが抱きとめた。
 強くも優しい腕のなか。
 温かくて、少し震えていた。