春は、香りとともに。




 玄関に立つと、すぐに戸が開いた。

 現れたのは、記憶の中よりもやや痩せた、けれども背筋をぴんと伸ばした男だった。
 灰色の着物に、白い袴。髪には白いものが混じっていたが、その瞳には今も静かな熱が宿っていた。


「……志野子さん、ですね」


 千原惟道。あのときと、まったく変わらぬ声だった。

 志野子は、自然と頭を下げた。


「ご無沙汰しております。志野子にございます」

「来てくださって、ありがとうございます」


 惟道の言葉は、まるで香のように、静かに沁み入ってくる。

 その瞬間、志野子は自分の心がほんの少し、柔らかくなっていくのを感じていた。