この恋にルールは必要ですか?

第8話「私にだけ、優しい先輩」


【大学構内・昼休み・8月中旬】


夏期講習や補講がぽつぽつと行われるキャンパス。
学食も空いていて、学生たちは思い思いの場所で過ごしている。
その中で、茜は中庭のベンチに座り、ノートを開いている。


ふいに背後から、声がかかる。

悠真
「こんな暑い日に、中庭って」


「日陰、意外と涼しいんです。先輩こそ、どうしてここに?」

悠真
「なんとなく。君がいそうな気がしたから」


茜が軽く笑う。悠真がベンチの隣に腰を下ろす。


「……先輩って、いつも私のこと、ちゃんと“見て”くれてますよね」

悠真
「……どういう意味?」


「だって、私が悩んでるときも、黙って待ってくれるし。困ってると、気づいて声かけてくれるし……」


「なんか、“私にだけ優しい”って思っちゃうんです」


ふと、沈黙が落ちる。悠真は、言葉を慎重に選ぶように茜を見つめる。

悠真
「……それ、間違ってないよ」


「……え?」

悠真
「俺、多分もうずっと前から、君を“特別”だと思ってる。だから、無意識に見ちゃうし、気づいてしまう」


茜の胸が高鳴る。視線をそらして、でも、逃げずに答える。


「それって……ずるいですよ。そんなこと言われたら、また……」

悠真
「また?」


「……先輩のこと、もっと好きになっちゃうじゃないですか」


悠真の目が、静かに見つめたまま、ほんの少しだけ笑う。

悠真
「それでいい。俺も、君のこと、もっと知りたいって思ってるから」


【法学部棟・図書資料室・午後2時】


午後の補講のために、茜は資料を探している。
棚の向こう側から聞こえる声に、足が止まる。

女子学生A
「朝倉先輩って、やっぱかっこいいよね。頭いいし、落ち着いてるし。前のゼミで質問したとき、すごく優しく答えてくれて……」

女子学生B
「わかる~! でもさ、あの人って誰にでも優しいってわけじゃないらしいよ」

女子学生A
「え、そうなの?」

女子学生B
「“水城さん”って子には、特別らしくて……。前に資料室でふたりだけで勉強してたとか聞いた」


その会話が耳に入った瞬間、茜の足が止まり、指先が震える。

茜(心の声)
(噂に……なってるの?)



【キャンパス通路・帰り道・夕方】


講義を終えた帰り道、茜はイヤホンを外しながら歩いている。
前から、相馬拓真が自転車を押しながら近づいてくる。

拓真
「おーい、偶然。水城!」


「相馬くん……」

拓真
「この間から何通かLINE送ったけど、既読止まりだったよな」


「……ごめん、忙しくて」

拓真
「ううん、大丈夫。でもさ……高校のとき、茜って“誰とでもちゃんと返す子”だったじゃん。だからちょっと、気になった」


「……私、少しだけ変わったのかも。大学に入ってから」


拓真は、じっと茜の目を見つめる。

拓真
「そっか。……じゃあ、変わった“きっかけ”って、もしかして——“あの先輩”?」


「……っ」

拓真
「やっぱりな。いや、ごめん。ちょっとだけ、嫉妬してるんだと思う。俺さ、茜の“まっすぐさ”にずっと惹かれてたから」


茜はうつむいて、でもはっきりと口を開く。


「ありがとう。でも、今の私は……誰かと向き合いたいって、そう思える人ができたの」

拓真
「……そっか。残念だけど、言ってくれて嬉しい」



【大学構内・中庭・翌日・午前10時】


翌朝、いつものようにベンチで勉強をしていると、悠真がふらりと現れる。

悠真
「……昨日の帰り、拓真くんと話してたよね」


「……見てたんですか?」

悠真
「うん。なんとなく、様子を見てて……でも、声はかけられなかった」


「大丈夫ですよ。ちゃんと話せました。……過去と、ちゃんと区切りつけられた気がします」

悠真
「そっか……」


ふたりのあいだに、柔らかい風が吹き抜ける。
そして——悠真が、茜の手の上にそっと自分の手を重ねる。

悠真
「じゃあ、次は俺が言う番かな。“私にだけ優しい先輩”じゃなくて、“君のために優しくなった俺”だって」


「……もう、またそういうことを……」

悠真
「……好きだよ、茜」


茜の目が見開き、頬が赤く染まる。
でも、ふっと笑って——


「はい。私も、好きです」