第4話「理想と現実のあいだで」


【民法ゼミ教室・午後2時】


民法ゼミの3回目。前回出された「契約自由の限界」についてのディスカッションを、各ペアが発表することになっている。

教授
「理論に偏りすぎても、現実を無視しては意味がない。“正しさ”をどう使うか、それが法律家としての資質だ。では、三枝くんと水城さん、発表をどうぞ」


緊張した面持ちで立ち上がる茜と三枝。ふたりはそれぞれ用意した意見を順に述べていく。


「契約自由の原則は、経済的自由を保障するうえで極めて重要です。しかし、強者と弱者の間では、自由の名のもとに搾取が起こる。だからこそ、国家による介入が必要です」


「でも、それを過度に規制してしまったら、市場の自由が失われる気がして……。たとえば、未成年者取消権のような保護規定でも、実際に現場でどう使われるかって難しいと思います」


ふたりの意見は徐々にぶつかり始める。議論は熱を帯び、教室の空気が張り詰めていく。


「それは理想論じゃない? 現実には、自由って言葉に“責任”が伴わないことも多いんだよ」


「それでも、“可能性”を残すのが法の役割だと思います!」


教室が一瞬しんと静まり返る。教授が唸るように微笑む。

教授
「……いい議論だ。だが、水城さん、あなたの意見は感情的すぎる。法は感情では動かない」


茜、悔しそうに唇を噛みしめる。


【教室外の廊下・休憩時間】


ゼミの休憩時間、茜は廊下のベンチに腰かけて、ノートを見つめながら深いため息をついている。

茜(心の声)
(悔しい……理屈じゃ勝てないってわかってるけど……それでも、私は……)


そこへ、悠真が紙コップを2つ持って現れる。黙って隣に座り、1つを茜に差し出す。

悠真
「おつかれ。あれ、悪くなかったよ。むしろ、よく頑張ったと思う」


「でも……先生に“感情的”って……」

悠真
「法って“冷たい”ようで、実は人のためのものだから。君の言葉には“想い”があった。それは、間違ってない」


茜が顔を上げると、悠真はまっすぐ彼女を見つめている。

悠真
「……少なくとも俺は、そういう発言ができる人の方が、ずっと“法学部らしい”と思ってる」


茜の目が潤む。


「……ありがとうございます」



【学食・夕方・その日のゼミ後】


ゼミの後、三枝と茜は食堂の隅に並んで座っている。食事は進まず、沈黙が流れる。


「……さっきは、ごめん。言い過ぎた」


「ううん、私もムキになってた。議論って、難しいね」


「君が“どうして法学部に来たか”って話、少しだけわかった気がした。君の意見は、たしかに正しい。でも、法って“正しさ”より“整合性”を求められるからさ……」


言いながら、どこか自嘲気味に笑う三枝。


「……ごめん、また生意気言った」


「ううん。なんか……三枝くんって、強いのに、すごく繊細だよね」


「それ、褒めてる?」


「もちろん」


【大学の屋上・日没直前】


悠真がひとり、校舎の屋上に出て、夕暮れの街を眺めている。風が静かにシャツの裾を揺らす。

悠真(モノローグ)
(……俺はあの子の“想い”に触れて、なにをしたいんだろう)


そこへ、後ろから声がかかる。

教授
「朝倉、最近の君の目は、少し柔らかくなったな」

悠真
「……そうかもしれません」

教授
「法に感情を混ぜるな——とは言うが、人間が扱う以上、法だって人間的にならざるを得ない。それを忘れるなよ」


悠真はうなずきながらも、その眼差しは遠く、何かを確かめようとするように茜の姿を思い浮かべていた。


【茜の自宅・夜】


部屋に戻った茜は、ノートパソコンを開きながら、机の前で考え込んでいる。

茜(心の声)
(どうして私は、“正しい”って思ったんだろう)
(……“法”って、答えがあるようで、ないものなんだ)


メール通知が鳴る。送り主は——朝倉悠真。

<件名:おつかれさま>
<本文:今日の議論、君らしくて良かったよ。今度、少しだけ時間もらえない? 話したいことがある>


茜の胸が、少しだけ高鳴る。

茜(心の声)
(話したいこと……って、なんだろう)