第12話「すれ違いと、小さな嘘」


【大学構内・秋の午後・ゼミ棟前】


風が冷たくなり始めた10月のキャンパス。
ゼミの発表準備と中間試験を控え、茜の表情にも焦りが見え始めていた。
ノートPC片手に、スマホをチラッと見て——すぐ画面を伏せる。


LINEのトークルーム。
朝倉悠真:
《今日のゼミ後、少しだけ会えない?》

未返信。

茜(心の声)
(忙しいのは私だけじゃないのに……。
でも今は、ひとつでも後回しにしたら、崩れそうで怖い)


【法学部ゼミ室・夕方】


ゼミが終わり、学生たちがぞろぞろと退出していく。
茜はまだ席で資料をまとめていると、悠真が近づく。

悠真
「水城。……今日、大丈夫?」


「……すみません、ちょっと資料仕上げないとで。明日のミーティング、私がまとめ役って言われてるので」

悠真
「そっか。無理しないでって言いたいけど……無理するタイプだよな、君」


「……はい。たぶん、ちょっとだけ、頑張りすぎてます」


悠真は苦笑しながら、そっと茜のPCをのぞく。

悠真
「じゃあ、あと10分だけ付き合わせて。そのあとは、コーヒー一杯だけでも」


「……じゃあ、ほんの少しだけ」


【大学近くのカフェ・夜7時前】


静かなカフェ。ふたりはテーブル席に並んで座っている。
茜はカフェラテを両手で包み込むように持ちながら、深く息を吐く。


「……先輩、最近、ちゃんと眠れてますか?」

悠真
「俺? まあ、それなりに。寝つきはいいから」


「よかった。私、最近“朝倉さんに甘えられてないな”って思ってて……」

悠真
「……それ、俺も思ってた。君がどんどん“自立してく感じ”は、見てて誇らしいけど、同時にちょっとだけ、さびしい」


「さびしい、ですか?」

悠真
「うん。……もうちょっと、頼ってくれていいんだけどな」


茜の目が揺れる。言いかけて、何かを飲み込んだような表情。

茜(心の声)
(“実は、ゼミの先生に他大院の進学をすすめられてる”
でも、それを言ったらきっと、また何かが変わってしまいそうで——)


「……ううん、大丈夫です。ちゃんと、余裕できたらまた頼りますから」


“ほんの小さな嘘”。
だけどそれが、ふたりの間に初めて影を落とす。



【図書館・1週間後・夕方】


夕方の閲覧席。茜は資料を開きながら、スマホの画面をちらりと見る。

悠真:
《今日の夜、会えそう?》

茜(心の声)
(今日も、断ろうとしてた。でも……)


スマホのキーボードをタップしかけて、手が止まる。
そのとき、背後から女子ゼミ生の声が聞こえる。

女子学生A
「ねえ、水城さんってさ、院進考えてるって聞いたけど本当?」

女子学生B
「え、朝倉先輩とは違う進路になるってこと?」


「……え?」


思わず振り返る茜。
言った覚えのない話が、なぜか他人の口から漏れていた。

茜(心の声)
(どうして……。先生にだけ、少し相談しただけなのに)


【研究棟裏・その日の夜】


夜。
茜はメッセージに返信せず、静かな研究棟の裏でひとり風に吹かれている。

茜(心の声)
(なんで私は、最初からちゃんと伝えなかったんだろう。
“彼に迷惑をかけたくない”って、それだけで……)

(でも——)


そこに、足音。
ふと顔を上げると、悠真が小走りにやってくる。

悠真
「……ここにいたんだ」


「先輩……」

悠真
「ゼミの後、君がいないって聞いて。なんとなく、ここにいる気がしてた」


「……ごめんなさい」

悠真
「院進の話、聞いた。ゼミの子から」


「……っ」

悠真
「どうして、俺には言ってくれなかったの?」


茜は目を伏せ、震える指で自分の袖を握る。


「……怖かったんです。
“先輩と違う場所に行く”って思ったら、関係が変わる気がして……」

「それが怖くて……ずっと、言えなくて……」

悠真
「変わらないよ。変えたくない。
たとえ、君が東京の院に行って、俺が別の道を選んでも——“気持ちは”繋いでいける」


「……本当に、そう思いますか?」

悠真
「うん。
でも、“嘘をつかない関係”じゃなきゃ、続けていけないとも思ってる」


ふたりの距離がゆっくり近づいて、
茜はぎゅっと唇を噛んだあと、そっと頷く。


「……ごめんなさい。次はちゃんと、言います。
全部、正直に伝えます」

悠真
「ありがとう。俺も、君の選ぶ未来を、ちゃんと応援するよ」


小さな嘘は解け、またひとつ深く結ばれた夜。
でも、それでも——進路という“現実”は、確実にふたりを試そうとしていた。