第1話「初対面、それは民法総論の教室で。」
【法学部棟101教室・午前10時】
新学期の初回授業。300人を超える法学部生がなだれ込むように大教室に集まっている。ざわついた空気のなか、ひときわそわそわした様子の女子学生がひとり。
水城茜(1年)は、重たいリュックを背負いながら空席を探し、端の方の席に滑り込む。隣にはすでに席に着いてノートを開いている男子学生が。
朝倉悠真(2年)は、無駄のない動きで講義資料に目を通し、シャープにノートをとっている。
茜(心の声)
(わ、すっごい落ち着いてる……しかもなんかカッコいい……)
民法の教授が講義を開始する。だが、初めての専門用語に茜の頭はすぐに混乱する。
茜(心の声)
(「債権」ってなに? 「契約自由の原則」ってどういう意味!?)
勇気を出して、隣の悠真にそっと声をかける。
茜
「あの……すみません。今の、“債権”ってどういう意味ですか?」
悠真
「“人と人との間の約束に基づく権利”ってところかな。たとえば、コンビニでお金払ったら商品もらえるでしょ? あれ、お互いに“債務”があって、それに基づいた“債権”が発生してるってこと」
茜
「……え、わかりやすい……ありがとうございます!」
茜がほっと笑うと、悠真はわずかに目線を戻し、講義に集中する。が、少しだけ表情がやわらいでいる。
【学食・昼休み】
講義終わりに学食へ向かった茜。満席で困っていると、遠くのテーブルで一人で食事をしていた悠真が手を挙げる。
悠真
「ここ、空いてるよ」
茜、照れくさそうに笑って着席する。
茜
「ありがとうございます。助かりました」
悠真
「民法、難しかった?」
茜
「正直ちんぷんかんぷんで……でも、ちょっと面白かったかも、って」
悠真
「なら良かった。法学って、最初は“正義”の話っぽいけど、実は“ルール”をどう読むか、っていう話なんだ」
茜(心の声)
(この人、なんか……法学のこと、すごく真剣に考えてるんだ)
【図書館・午後3時】
茜が履修のことで戸惑い、カウンターで立ちすくんでいると、悠真が通りかかる。
悠真
「水城さん、困ってる?」
茜
「え、あ、はい……この科目、必修なんですよね? でも時間がかぶってて……」
悠真
「それなら、こっちの組み合わせの方がいいよ。俺もそうしてる」
茜
「ありがとうございます……!」
ト書き:
自然と並んで歩きながら、悠真がふと尋ねる。
悠真
「なんで、法学部選んだの?」
茜
「……私の地元、ちょっと不公平なルールとかがあって。変えたいって思ったんです。でも、まだ上手く説明できなくて」
悠真が少し目を細めて、茜を見る。
悠真
「十分伝わってるよ。そういう理由でここに来た人、案外少ないから」
茜
「……そうなんですか?」
悠真
「“なんとなく”とか“親に勧められて”って人、けっこういる。君みたいな人は、ちゃんと“考えてる”人なんだと思う」
茜(心の声)
(“考えてる人”って、言ってくれた……)
【キャンパス・夕方】
陽が落ちかけた頃。二人は並んで帰路につく。春の風がやさしく頬をなでる。
悠真
「今日はありがとう。……一緒に授業受けてると、自分も初心を思い出せる」
茜
「え……そんな、私なんか」
悠真
「“私なんか”って言わないで。君、いい目をしてるよ」
茜は少しだけ顔を赤らめる。歩くふたりの足音が、並木道に響く。
茜(心の声)
(東京って、知らないことだらけで怖かったけど……)
(この先輩と話してると、不思議と前を向きたくなる)
【大学門前・午後5時すぎ】
夕暮れの門を前に、ふたりは自然と立ち止まる。
悠真
「また、授業で会おう」
茜
「はいっ。また……お願いします」
茜がぺこっと頭を下げると、悠真はやさしい笑みを浮かべて去っていく。残された茜は、自分の胸元を軽く押さえて、微笑む。
茜(心の声)
(この春、私の“ルール”が少し変わった気がする)



