曜日男子とオオカミ少女

世界の常識が元通りになってから十日たった、七月二十四日 木曜日。
今日は一学期の終業式。
式とホームルームだけだから、お昼少し前に学校はおしまい。
「明日から夏休みだから、寝坊も夜更かしもしほうだいだね!」――等々話しながら、私はエマちゃんと一緒に帰る。

「明後日土曜日、新しい水着持ってプールだからね、約束だよ! それじゃまたね、コヨミちゃん!」

分かれ道まできたので、エマちゃんは最後にそう言うと、制服のプリーツスカートをひるがえして走って帰っていく。

「またね!」

私はエマちゃんの後ろ姿に手をふった後、自宅へ向けて歩みを再開させた。
明後日、一緒にプールへ行くメンバーの中には、当然美桜ちゃんもいる。
またこりずに意地悪なこと言われるかも? と、楽しくない予想をついしちゃうけど、以前ほど憂鬱(ゆううつ)な気持ちにはならない。
その理由は単純明快。
この前、美桜ちゃんに言い返したから。
それともう一つ。
あの時、日和さんが味方をしてくれたことを思い出すだけで、私の心は少しだけど、前よりも強くいられるようになったから。
でも。
家路を歩く足が止まる。
日和さんのことを思い出すたびに、トキメキと焦燥感が交互に私の心を支配して、苦しくもなる。

「どうしてるのかな……」

異常事態を解決した日以降、私は七曜兄弟の誰とも会っていないし、連絡もとっていない。
星の巫女だ結婚だと騒いでいたのに、彼らは私を訪ねてくることも、連絡をしてくることもなく。
イケメン兄弟からの連絡待ちだなんて、私のくせに何様? ってことは、十分理解してる。
お家の場所を知っているだけでなく、スイさんと日和さんの連絡先も知っているんだから、私からコンタクトをとることは可能なわけだし。
だけど――DMを送る画面を開いても、どういう内容で連絡をすればいいか分からなくて、一文字も送れないまま閉じてしまう。
学校が同じだったら、状況はまた違っていたのかもしれないけど、違う学校だしなぁ。

「はぁ……」

私はため息をつき、地面を見ながらのろのろ歩き出す。
連絡待ちしてる私ってウザい奴だし、連絡できない私もコミュ障の面倒くさい奴すぎる。

「こんにちは、刻国さん」

聞き間違いかと思った。
だって、あの角を曲がればそろそろ家が見えるというところで、聞きたくてたまらなかった声が、耳に飛び込んできたんだもん。

「日和さん……!」

ばっと顔を上げれば、相変わらず王子さまみたいなオーラをただよわせる彼が、数メートル先にいた。
ゆ、夢じゃないよね?!

「久しぶり、というほどでもないかな?――話したいことがあるんだけど、これからいい?」
「は、はい。――あの、その絆創膏……」

自転車にまたがる日和さんは、ケガをしていた。
ひたいと口の端、天文中学の夏制服である白ポロシャツから伸びる両腕にも数ヵ所、絆創膏が貼られていた。

「これは、ちょっとまぁ……ちょっと。それも移動した先で話すよ」

日和さんは彼が乗る自転車の荷台を叩き、「乗って」と私に言った。

「失礼します。重くないですか?」

私は荷台へ横向きに座り、荷台の端をつかむ。

「全然。じゃ、出発するよ」

日和さんが脚に力を込め、ペダルをこぐ。
私のこの乗り方は、金晴さんのバイクほどスピードがでない、自転車だからできること。
私は日和さんに恋をしている。
だからこそ、日和さんの身体につかまることができない。
緊張で汗をかきまくりそうだし、挙動不審な行動をとりそうだし、触れたところから片思いがバレちゃったら……って、あり得ないことまで考えてしまって。
だけど自転車の二人乗りって、それだけですごく距離が近くて困る。
ドキドキきゅんきゅんして、私が何も言わなくても、彼のことを好きなのが伝わってしまいそうな気がするから。

「どこへ行くんですか?」
「ついたら分かるよ。変な所へは連れていかないから、安心して」

自転車が夏の風を切り、その風が私の頬をなでていく。
連絡先を知っているのに、私から日和さんに連絡しなかった理由。
何て連絡すればいいか分からなくて、という以上の理由が、実はある。
それは、怖くてたまらなかったから。
あのキスは世界を元に戻すためだけのもので、それ以外の理由などなく。
あの時の全部は、私をその気にさせるためだけのもので――なんていう真実が待っていたらどうしよう、と私はおびえている。



日和さんがこぐ自転車がついた先は、小さな水族館だった。
それなりに近所だから、過去に数回きたことがあるけど……日和さんはここで、私に何を話そうというんだろう?
チケットを買い、中に入る。
ほとんどの学校は今日が終業式だし、平日の昼間だからか、冷房が効いた館内にお客さんはちらほらとしかいなかった。

「前きた時とほぼ変わってないけど、久しぶりだと結構楽しいもんだね」

小魚が泳ぐ水槽を見ながら日和さんが言う。

「そうですね。結構忘れてしまってて、こんなだったかな、と思うこともあったりして」

どうして今日、日和さんは私に会いに来てくれたんですか?
話したいことって何ですか?
何でケガしてるんですか?
十日前に私の手をにぎってキスをした時、日和さんは何を考えていたんですか?
私のことをどう思っていますか?
私のこと、好きですか?

「日和さん、どうしてここへ?」

聞きたいことは山積みだし、重要なことほど聞きにくい。
真実を知るのは怖い。でも知りたい気持ちが勝つから、まずは聞きやすいことを。

「ここなら涼しいし、ゆっくり静かに話ができそうだなと思って」

つまり、大事な話ってこと、だよね?

「ずっと連絡しなくてごめんね。カタというか、ケジメをつけてたら、予想より時間がかかってしまって」

カタ? ケジメ? 何の話?
意味が分からなさすぎて、私は首をかしげた。

「あの日俺が刻国さんにキスしたって、兄弟たちに話した。そうしたら、ツキたちとケンカになってね。絆創膏はその時の」
「えっ」

ケガの理由にぎょっとする私を安心させるように、「お互い本気ではあったけど、手加減もしてたから、心配無用だよ」と、日和さんが笑顔で言った。

「刻国さんがキスすることを許してくれたのは、俺だったわけだろ。よってツキたちには悪いけど、刻国さんの彼氏になるのも、刻国さんと将来結婚するのも俺だよって言った」

すごい勢いで自分の顔が熱くなっていくのが分かる。
星の巫女ってそういう存在だけど……だけど!

「いつものように空気を読んで、あれをなかったことにして、みんな一列に並んでよーいドン! で改めて刻国さん争奪戦開始、は嫌だった。絶対に譲りたくなかった。一人だけしかなれない刻国さんの特別には、俺がなりたかったから」

気恥ずかしくて、手で顔をおおいたい。
うつ向いて、視界から日和さんを消したい。

「刻国さん。どうして俺にキスすることを許してくれたの?」

でも日和さんから伝わってくる、燃えるような恋の熱が、私にそんな行動をとらせるのを許さなかった。
だから私は真っ赤な顔で、真剣な目をした彼と真正面から、ただただ見つめあうしかなくて。

「『両思いだったから』という考えと、『世界のピンチだったから俺で妥協した』という考えが交互にきて、自分でもヤバいなって思うくらいこの十日間、情緒不安定だった」
「ひ、日和さんこそ……」

彼が自嘲気味に視線を水槽へ移動させてくれたから、私はやっと声がだせた。

「どうして私にキスしたんですか? 私だって……私だって不安だったんですよ!」

私は爪が手のひらに食い込むほど両手を強くにぎりしめ、喉で詰まりそうになる言葉を、頑張って口から吐き出した。
すると日和さんは、ぽかんとした顔になり――

「あれ? あ、そっか。俺、まだ言ってなかったね」

頬を赤く染め、はにかんだ。

「では、空気を読む能力にたけているキミは、もう分かっているだろうけど、ちゃんと言うね。――俺、七曜日和は刻国コヨミさんに恋をしています。好きです。つきあって下さい」

ねぇ、これは現実?
嬉しすぎて涙がこぼれて、日和さんの顔が歪んで見える。

「え、ちょ、刻国さん?! め、迷惑だったか……ごめんなさい」
「違います!」
「え」
「違うんです。この涙は嬉しくて」
「それってつまり……」
「はい。私も日和さんのことが好きです。――あっ」

日和さんに抱きしめられた。

「ありがとう。今俺、死ぬほど嬉しい」

日和さんの腕の中で涙をぬぐい、彼を見上げて「私もです」と、伝えようとしたのだけど。
唇で唇をふさがれてしまい、その言葉が音になることはなかった。



お互いの思いを確認した私たちは手をつなぎ、水槽の中を泳ぐ魚たちをゆっくり見て回る。

「ねぇ刻国さん。与太話として聞いて欲しいんだけど」
「何でしょう?」

叶わないと思っていた恋が叶って、私の胸は喜びではち切れそう。
好きな人と思いが通じあうと、こんなにも世界が輝いて見えるようになるなんて、はじめて知った。

「俺が誤解して刻国さんに声かけたのって、日曜日だったでしょ」
「はい。九十九回目の、七月十三日の日曜日ですね」
「あれって、俺が守護者してる日曜日だったからこそ、未来で星の巫女になるキミを見つけられたのかなって。――運命だったのかも? なんて、思っていたりしてて」

日和さんは、赤くなった顔を誤魔化すみたいに、天井を見上げた。

「もしそうなら……不満もあるけど、自分が日曜日の守護者でよかったなぁと」

つないでいる手に、日和さんがきゅっと力を込める。

「私も……空気読めないオオカミ少女だったことで、日和さんにあの日声をかけてもらえて、よかった」

私も彼の手をにぎり返したなら――日和さんが私を見て、目があって、二人とも立ち止まる。
私たちはおでことおでこをくっつけて、「大好き」ってささやきあった。


*終*