愛華の初めての恋は終わった。


 人生で初めて好きになった人には、好きな人がいたのだ。


(この恋は、始まった時から終わっていたんだ…)


 愛華は音楽室のピアノの前に座りながら、ただただぼーっとしていた。当然ピアノを弾く気にもなれず、鍵盤に視線を落としてはため息を零すだけだった。


 あの日から椿にも会っていない。


 ピアノの練習の休憩時間もグラウンドを見ることはなくなったし、なるべく廊下で長いはしないよう移動教室の時もさっさとA組に戻ることにしている。帰りの電車も、いつもと違う時間にして車両も変えている。


 以前と同じように椿と会話できる自信なんてなかった。どうしたって苦しい気持ちになるのだから。


(だめだめこんなんじゃ。今週末はコンクールなのに…)


 愛華の課題曲である、リストの「愛の夢 第三番」。もう愛の夢とか言っている場合ではなかった。恋してきらきらの気持ちなど、これっぽっちもない。


(仮に美音ちゃんが椿くんを恋愛感情で見ていなかったとして、それでも椿くんが好きなのは美音ちゃんであることに変わりはない。私の入る余地なんて、最初からなかったんだ…)


 愛華の中で同じような考えが堂々巡りを繰り返す。


(どうして好きになっちゃったんだろう。どうして椿くんだったんだろう…)


 気持ちを伝えることのないまま、終わってしまった初恋。当たって砕けた方がまだマシだったのだろうか。いや、当たって砕ける勇気すら、愛華にはなかった。


(この恋は、どうしたらよかったの?生まれてはいけない気持ちだったの?)


 そんなとりとめのないことまで考え出してしまう。そうしてまた目の前が滲んで、愛華は目元をゴシゴシと袖で拭った。


(練習…しなきゃ)


 愛華は無我夢中でピアノを弾き続けた。




 結果から言うと、ピアノのコンクールはボロボロだった。最悪も最悪の演奏で、こんな演奏しかできない自分が惨めに思えた。


 体調が悪かったのかな?、気にしないようにね、次あるし。そんな風にみんな優しく励ましてくれた。けれどそんな気休めの励ましなんて今の愛華には届かない。もうただただ一人にしてほしかった。今は一人でいる時間がほしい。ただ静かに過ごしていたい。


 そう愛華は思っているのに、彼がそうさせてはくれなかった。