「残念ながらね、三年前に死んでますよ。
魂は今もこの世を彷徨っています。
この手形さえあれば、たとえ死んでもこの世に戻って来られたんですがね」
「え……」
美咲は思わず聞き返した。
「この通行約束手形は、手形の中で一番いいものなんですよ。
どこからでも、どこへでも、その言葉の通りどこからどこへでもお連れできるんですよ」
その瞬間、電流が走ったように閃いた。
美咲の瞳にきらりとした光が走る。
「だとしたら、私もその手形を買いたいんです。
私をあの水上商の元まで連れて行ってくれませんか?」
玲羽は驚いたように目を開いた。
「い、いや、お客さん。
そりゃあお連れすることはできますけれどね、あの手形はちょっとやそっとじゃ買えませんよ。
それに貴方はなに一つ想い出の品を持っていないじゃないですか」
言われて自分の姿を見た。美咲は今身に着けているものといったらブラウスとスカート。
それにカメオのブローチと牛革の靴。
全く思い出がないとは言わないが、和樹叔父の万年筆ほどかと言えばそれには及ばないものばかりだ。
「判ったでしょう?
無駄なことはお止しなさい。
貴方は若いし美しいんだから、また別の人を好きになればいいんですよ」
玲羽が舟を漕ぎ出そうとした。
慌てて美咲がその手を取って引き留めた。
自分でも驚くくらい俊敏な反応だった。
「お待ちください!
わたくし、持っています。
一番想い出のあるもの、持っているんです。
ですから乗せてください。お願いします!」
燃えてしまうのではと思われるほど、熱く玲羽を見つめた。
美咲の頬を玉のような汗がつたって落ちた。
そうまで言われては聞かないわけにはいかないと見えて、玲羽は少々困ったように頷いた。
「分かりましたよ。それではお乗り下さい。
揺れますからお気をつけて。
ええと……、お名前は渡邊美咲、字はこれでよろしいですか?
朧川から天経由朧川でいいですね。それじゃあ、行きますよ……」
差し出された手を取って、しっかと船に乗り込むと、美咲はすっかり心を据えて舟の前方を見据えた。



