【叔父様ノ覚エ書】~叔父様の書物をこっそりと読みましたら、叔父様が殺されたらしいとわかりました。お可哀想な叔父様。待っていてくださいね。美咲がきっと助けて差し上げます…~

 


 


 少年はさう言ふとそり舟の隣に横着けた。

 水上商の舟には少年と同じ編み笠をした同じ年位の少女がゐた。

 少女にも左の眼の下に黑子が一つあつた。

 少女は白衣と白袴を着て、黑い髪は顏の兩隣りに赤い紐で可愛らしく結へてあつた。



「いらつしやいませ。何にしませう」



 何にするにも何が賣つてゐるのかわからない。

 加へてお金にゆとりもない。

 とても買へるやうなものが有るとは思へなかつたけれど、其れでも少年がわざわざ停めて呉れたのだから、一應(いちおう)聞いてみることにした。



「……何を賣つてゐるんですか?」

「此處では通行約束手形を賣つてゐます」

「通行約束手形?」

「通行約束手形とは、天へと至る此の川を渡ることを約束する手形のことです。

 此の手形を持つてゐれば、死んだ時には必づ天に行けますよ」

「天國(てんごく)への約束手形と言ふことですか?」

「はい」



 驚き乍ら少女を見た。

 少女はただ僅かに微笑みを浮かべた儘僕を見詰めてゐた。

 夲當だらうかと疑つてみたものの、疑り出したら此の眞つ白い景色と、珠石の川登りも疑はねばならないことを思ひ出した。

 そんなの疑い切れないし、到底確かめやうもないのだと思ひ至つた。

 其れならばと聞いてみた。



「其の手形、もう死んで了つた人に差し上げることは出來るでせうか……? 

 其の人が此の川をまだ登つてゐなかつたらなんですが……」



 少女は、出來ますよと微笑んだ。



「其れなら、……二人分……、いえ、三人分お願いしたいのです。お幾らでせうか」

「其の前に、を客さん。誰の分を買いたいんです?」



 口を挟んだのは少年だつた。



「賢治……ええと、依田(きぬた)賢治と言ふ少年の分と、ヴアイオリニストの戸尾江忍さんの分、其れから高岡薫子さんの分です」



 懷から帳面を出して捲り始めた。



「ええと、依田賢治……嗚呼、其の少年の魂まだ來てませんね。

 其れから戸尾江忍と言ふ人も來てません。

 高岡薫子……此の人はもう川を渡つてゐます。

 恐らく初めの二人は死んだことにまだ未練があつて、魂だけがまだ彷徨つてゐるのでせう。

 薫子と言ふ人は如何やら未練が晴れて天に行つたやうですよ」



 胸に複雑な思ひが滿ちた。

 賢治の死を目の當たりにして逃げるやうに村を去つて了つた。

 危険を知りつつ忍さんに全てを打ち明けて了つた。

 思い返しては後悔した。何度となく、彼の時ああしてゐれば、またはしなければと考えると、胸が痛い。

 さうした辛さの一方で、薫子の霊は、だうやら彼(あ)の後成(じょう)佛(ぶつ)出來たらしい。

 ほんの少しだけ、僕のしたことが無駄ではなく誰かの爲になつたではないかと思へて、心にじんわりとしたものを齎(もたら)した。

 迷いはなかつた。



「お願いします。二人の分の通行約束手形を下さい。

 お金は何とかします。もし足りないのなら、彼の珠をお渡しします」