少年の笑みには害意が感じられず、斷る口實がうまく出で來ない。
観念して促される儘渡り前に進んだ。
乗る直前やはり心配になつて少年を見る。
「夲當にちやんと此處へ戻つて來られるんでせうね?」
「大丈夫ですよ。を客さん、名前は何て言ふんです。……字は?
分かりました。此れで間違ひないですね。
此處にはかう書いておきます。
天津川から天經由(けいゆ)天津川。
いや、を客さん鳥渡ぽうつとしてて心配ですからね、I驛から何處へ行くんです?
はあ、M市ですか。
ぢゃあ天津川から天經由(けいゆ)M驛迄で如何です。え?
まあご心配なさらづに。
料金は結構ですよ。
其りやあを客さんが然るべき時に自分でお支払いになります」
少年は帳面に筆と墨でさらさらと書いて其れを仕舞つた。
何だか不味さうな状況だと承知し乍ら、持ち前の氣の弱さの爲に今更斷れない。自分が自分で恨めしい。
「さあ、だうぞ。渡邊和樹さん。一時の舟旅をお樂しみ下さい」
半分もうやけくそになつて、なるやうにしかならないと決して乘り込んだ。
舟は冷たい川にゆらゆらと揺れて、舟縁(ふなべり)にしがみ附く様にして僕は其處へ坐つた。
顏を上げた時だつた。
其處は一面の雪景色、否、雪ではなかつた。
たつた今離れたばかりの舟着き場を見た。
ない。
其處に在る筈のアヽチ橋を見た。
ない。…………



