I市には瀬戸内海に向かつて長く延びた天津川と言ふ川がある。
天津川と言ふのは正式な名稱でなく地元の人だけがさう呼んでゐる愛稱(あいしょう)だ。
昔中国地方を季節外れの大寒波が襲い、山陽側のI市にも一尺近くの雪が降り積もつたことがあつた。
山陰のような豪雪に見舞われることのないこの土地の人々が、雪の舞う朝方、川を望んだ。
天地の境なく眞つ白に染まつた景色に、天迄届く程長い一筋の川が浮かび上がつたいたと言ふ。
其れから瞬く間に気候は急変して、其の日の正午には雪はうそのように溶けて了つた。
後にも先にも、このような奇天烈な天気はないという。
午後には何時もの川に戻つて了つた。
ほんの短い間だけ、彼らは天に至る一筋の川を、真っ白い雪景色の中に見たのだつた。
其の様子を地元の名士が歌に詠んで伝えて殘した。
以來其の川を天津川と呼ぶのださうだ。
滞在中、雪が降ることはなかつた。
けれど、僕は確かに天に至る川を登つたのだ。
天津川沿いの旅館に泊まつてゐた。何をするでもなく、川沿いや旅館の近くを散策し、ベガと言ふ名の喫茶店と暁屋書店を行き來するのが日課になつてゐた。
時々近くの子供達と遊んだり地元の人に地域の歴史や暮らし振りを敎へて貰つたり等(など)して過ごした。
殘念ながら、小説の構想等は一つも出て來なかつた。
代はりに考へることと言つたら、榎夲先生と、故郷の父母、二組の兄夫妻そして甥と姪のことだつた。



