四、橋渡しの少年
昭和Z年の冬。
僕はY縣I市から榎夲先生に手紙を送つた。
書生を辞めさせて頂きたいと認(したた)めた。
僕が榎夲先生の書生であることはサロンで忍さんが紹介してゐる。
詳しい經緯は記さなかつたが、先生に迷惑を掛けて了ふかも知れないこと、其れ以上の迷惑を掛けて了ふことが恐ろしいので詳しくを話せないこと、そして出來れば僕のことを誰かが聞きに來ても素性を明かさないで慾しいと言ふことを書いた。
手紙が届いた頃を見計らつて電話をすると、先生は大變心配して下さつて、多くを聞かずに承知して下さつた。
此那形で先生の元と離れることにならうとは思つてゐなかつたので、想ひがつい込み上げ、不覺にも電話口で涙して了つた。
東京で過ごした間、僕にとつて先生は夲當の父以上に父のやうな存在だつた。厳しく、暖かく、そして筋の通つた男惚れするやうなお人だ。
何時も先生の言葉によつて目覺め、励まされ、見守られ、先生こそが人生の指標だと思つて生きてきた。
人生には誰にでもさう言ふ人が必要なのだ。押せば倒れ、引けば抜けてしまう僕のやうな頼りない人間には特に。何よりも得難い人生の師。
僕とつて其れがまさに榎夲先生なのだ。
先生にお會いして此のことを全てお話しできる日が來るだらうか。いやきつと。
春迄には故郷に歸らうと決めた。
旅費も底を尽きかけてゐたし、榎夲先生の書生でなくなつた以上、僕は他の働き口を探さなければならない。
此の旅の間に起こつたことを書き留める落ち着いた場所が慾しかつた。
氣持ちを整理する時間を必要としてゐたのだ。そして、かうしてやつと、此れ等(ら)のことを僕の中から吐き出したことで、僕は今漸く解き放たれたやうな氣分になつてゐる。
其れでも僕が今もまた旅に出たいと思へてのは、此の冬の出來亊があつたからかも知れない。



