何と言ふことだらう。
梅毒で死んだ薫子のことを隱すために、あろうことか人を殺す何て。
氷を抱いてゐるやうに胃が冷たくなつてゐく。
此の儘(まま)だと吐きさうだ。
娘を慈しみ乍らサロンでお互いに微笑み合つてゐた夫妻が、其那罪を隠してゐる何て誰が想像出來ただらう。
繪畫のやうな夫婦像何て嘘つぱちだ。
何て醜くく聞くに堪へない言ひ争いだらう。
目の前が暗くなる。
重くなつて行く闇に被いつぶされさうだ。
如何して此那ことになつて了つたのだらう。
知りたくもない亊實を知らされて、命に關わる亊件卷き込まれる何て。
華やかな世界の裏側を此れ以上知りたい何て、小指の先程も思つてもゐなかつたのに。
殺されるのをただ待つてゐる訳にはいかない。
何かないかと當りを見渡した。
氣附くと、暗闇の中から何か透明な薄い煙のやうなものがふつふつと現れた。
其れは見る間に人の形になつて、薫子の靈(れい)が現れた。
心の半分で驚き乍ら、もう半分では死んだ人間に對する恐怖はなかつた。
其れよりも生きてゐる人間のはうが恐ろしいではないか。



