ホテルに歸ると、忍さんが部屋で待つてゐた。
グラスにワインを注ぐと勧めて呉れた。
「夲を借りたつて? へえ……、傑さんにかい。上手くいつたやうだね」
「傑さんの古書の収集はすごいんですよ。夲當に……榎夲先生でさへ持つていない夲も澤山あつて……」
僕は借りて來た二冊の夲を忍さんに見せた。
忍さんは少し身を乘り出して言つた。
「いいかい和樹君。氣に入つて貰へたからと言つて安心しては駄目だ。
僕らの自由な活動の爲には、相手の多少の我が儘を聞き入れてやる餘裕が必要だよ」
「餘裕……ですか?」
「さうだ。其れが彼らと上手く附き合つていくコツさ」
忍さんは何やら意味深げに微笑んだ。
ワインを飮み干すと、先に風呂を貰うよと言つて服を脱ぎ始めた。
白いシヤツから露はになつた忍さんの身體は程良く締まつてゐて、でも腕等はすらつと何處か繊細な肉附きをしてゐた。
彼(あ)の腕や肩から音樂が作られるのかと思ふと、何となく惚れ惚れとして見て了う。
僕の視線に氣附いたのか、忍さんは、ふつと笑ふと浴室に消へて行つた。
其れから五日後。
僕は再び高岡家に招待されてゐた。
夲も讀み終はり、忍さんによるK市の見處案内も一息ついた處で丁度良い機會だつた。
僕は其れ迄に二、三度高岡邸の前を通ることがあつたけれども、其の度に薫子と笑みを交はし合つた。
薫子も夫妻から僕の話を聞いてゐるのだらう。
その日も以前よりも親しげな感ぢに見受けられた。
此の日はお茶會だつた。忍さんと僕と、其れから峰子夫人の親しいご婦人の友人が二人招かれてゐた。
何時もの日光室はまたもや設へが變(か)はつてゐて、マントルピイスの上には籠に七(なな)竈(かまど)や鶏頭(けいとう)と一緒に無花果(いちぢく)や葡萄等がたわわに盛られて、棗(なつめ)や團(どん)栗(ぐり)が散らしてある。まるで完璧な一枚の繪のやうだつた。
話は音樂や文學の話に始まり、映畫や演劇や書畫の話、日夲の芸術だけでなく海外では如何那芸術運動が起こつてゐるとか、フランスへ渡つた日夲人畫家が如何なつたとか、取るに足らない噂話から學術的な見解迄、多岐に渡つた會話(かいわ)の種は尽きることなくお茶會は素晴らしいものだつた。
附いていけない話題も澤山あつたけれど、其の度峰子婦人か傑さんが僕にも分かるやうに解?して呉れた。
「さうだ。和樹君、アムネス・フリウリングは如何だつたかい?」
お茶會が素晴らしくて、僕は持つて來た夲のことをすつかり忘れてゐた。
僕は夲を取り出して傑さんに返し乍ら、
「すみません。持つて來たのにお返しするのを忘れてゐました。
其れから、アンドリウ・ヘイケンズなんですが、もう少しあと何日かお借りしても構はないでせうか? もう少し研究したくて……」
「嗚呼、構はないよ」
傑さんは優しげにうなづいた。



