席を立つて傑さんと共に書斎へ向かつた。
傑さんの書斎は廣々とした空間に重厚な調度品が存在感を奮つて、壁際の夲(ほん)棚(だな)には貴重な夲や外國文學の高價なシリイズ何かがずらりと並んでゐた。
其の中にアンドリウ・ヘイケンズを見つけて、僕は興奮して了つた。
「嗚呼、是は……初版夲! 一八四七年發行、間違ひない。
アンドリウは當時此の作品でアヘン戦争をフイクシヨンに置き換へてイギリスの政策を眞つ向から批難したんですよね。
當然夲は直ぐに囘収處分。アンドリウは國外へ亡命するはめになる。
彼の他の作品も多くが弾圧處分されて了い、當時のイギリスに彼のやうな人がゐたことは一般に殆ど知られてゐません。
是が日夲に在る何て、嗚呼、信ぢられない。奇蹟です……!」
「へえ……、良く知つてゐるね。いいよ。其れも貸してあげやう」
「有り難う御坐います」
其の後も夲棚の隅から隅迄見渡して、結局夜半迄お邪魔して了つた。
「すみません、つい此那遅く迄お邪魔して了つて……」
「いや、いいんだよ。僕は一向に構はない。さあ、夲を持つて……」
傑さんが僕の肩に手を乘せた。
「君が此那に熱心だと、僕も嬉しいよ。僕たちは良い友達になれさうだね」
「はい、僕とても嬉しいです。有り難う御坐います」
眼鏡の奥から、傑さんの視線を感じた。
此の沈默が何だか分からづ、僕は自分から扉に進んだ。
「其れぢゃあ、僕」
「嗚呼、さうだね。和樹君、また何時でも遊びにおいで」
玄關迄行くと、峰子夫人も顏を出して、
「二人きりで随分長くお話ししてらしたのね。和樹さん、是非またゐらしてね」
「はい、今日は有り難う御坐いました」
二人に見送られ僕は屋敷を出た。眞つ暗に染まつた景色に屋敷の明かりが煌々と光つてゐる。
日光室の上の彼の部屋を見ると、矢張り同じ場所に薫子がゐた。
彼女が笑顏で手を振る。僕も輕く手を振り返した。



