【叔父様ノ覚エ書】~叔父様の書物をこっそりと読みましたら、叔父様が殺されたらしいとわかりました。お可哀想な叔父様。待っていてくださいね。美咲がきっと助けて差し上げます…~

 




 雄弁な紹介に、わつと拍手が沸いた。

 忍さんはかう言ふ振る舞いに慣れてゐるらしい。

 何處をとつても華があつて清々しく、氣持ちの良い好男子だつた。ついさつき迄ソフアで寝むりこけてゐたとは到底思へない。

 其れに引き換へ僕は自分が榎夲先生の書生であると話したことさへ覺へてゐなかつたのだから焦つて了ふ。忍さんは話したくないなら默つてゐていいと言つたけれど、一食一泊の恩ではないけれど忍さんの顏に泥を塗るやうな眞似はしたくない。

 僕はまだ少しはつきりしない頭で挨拶をした。



「ご紹介に上がりました……渡邊和樹です。其の……宜しくお願いします……」



 僕がさう言ふと、當たりは一瞬靜まり返つた。

 何か氣の利いたことが言へれば良かつたのだけれど、其の時の僕には其れが精一杯だつたのだ。

 流れる沈默に氣不味い心持ちでゐると峰子夫人がくすりと笑つた。



「まあ、シヤイで被居ること」



 其の一言で當りから笑ひ聲と歡迎(かんげい)の拍手が啼つた。

 顏に熱が昇つて來るのを感ぢた。

 僕を救つて呉れた峰子夫人を見ると、僕の視線に應へてにこりと笑つて呉れた。

 目の垂れた優しさうな夫人だ。

 結い上げた豊かな黑い髪が何とも言へづ淑(しゅく)女(じょ)らしい。

 少し目が離れてゐて何かの魚に少し似てゐると思つたけれども、横顏を見ると西洋人のやうに鼻が高くはつとする處がある。

 好みは有れども個性顏の美人と言へる面立ちだらう。

 其の夫人に比べると些か印象の薄い夫君は髪をぴつちりと撫で附けて、是ぞ紳士と言ふ雰圍氣(ふんいき)だ。仕立ての良い高級スウツを見亊に着こなしてゐる。

 高岡夫妻は繪畫に描いたやうな華族其のものだ。



 改めて峰子夫人が其の場を仕切つた。



「其れでは、早速ですけれど忍さん、今日は何を聞かせて頂けるのかしら」

「其れでは、ルウトヴイヒ・ヴアン・ベエトホヴエン、ロマンス第一番 ト長調 作品四〇を」



 既に準備を整へてゐた忍さんが、さつとヴアイオリンを構へた。

 忍さんの凛とした立ち姿が、初めは靜かに、そして零れるやうにメロデイを奏で始めた。

 其の肩には羽根が生へ、手は風をなぞるかのやうに輕やかだつた。弦を押さへる美しい指先、輕く閉ぢられた瞼(まぶた)。僕は初めて男性に見とれてゐた。

 優しい旋律はゆつたりとサロンを包み込んでゐく。

 音を啼らしてゐるのはヴアイオリン其のものに他ならないのだけれど、全てを包み込むやうな曲の雰圍氣を作つてゐるのは、紛れもなく忍さんが全身を纏(まと)つてゐる空氣だつた。

 レコオドで聞くのとは何から何迄が違つてゐた。

 曲が終はると、惜しみない拍手が贈(おく)られた。

 まだまだ聞いてゐたいやうな氣分で僕も手を叩いた。

 サロンの面々が稱賛(しょうさん)の捧げる。