三、 絡操少女(からくりしょうぢょ)
街をゆく人々の姿は外套や帽子で秋色に身を包んでゐた。
かく言ふ僕もグリンの襟卷を絞めて關西(かんさい)にゐた。
活氣に溢れた港町で近代的な風情のあるK市を訪ねたくなつたのは他でもない。此の夏に起こつた出來亊を忘れたかつたからだ。
昭和Z年の夏。初めての長旅で僕は少々思慮に缺けてゐた。
彼の時僕はもつと注意深くゐるべきだつたのだ。
如何して彼の人食い鬼の怪しい空氣を察してゐ乍ら其れを無視して了つたのだらう。
わざわざ五芒星と同じ五角形に作られた格子牢とお札をああも易々(やすやす)見逃して了つたのだらう。
男何て、馬鹿な生き物だと思ふ。
僕が彼の場から逃れられたのは單なる偶然でしかない。
彼れ以來僕は亊あるごとに彼の村での出來亊を思ひ出すと脊筋(せすじ)が凍り附いたやうに震ゑて了ふ。
K市の港の望める公園で一人ベンチに坐つた。
海のない内陸縣で育つた所爲(せい)か僕は海の鳥を知らない。飛んでゐるのが鴎(かもめ)なのか海(うみ)猫(ねこ)なのかすら判らない。
海を見て繁華街で少し遊んでみれば氣分も變はるだらうと思つてK市に來たと言ふのに、如何にも町を彷徨(さまよ)う氣になれなかつた。
もう日が暮れやうとしてゐるのに、僕は昼間から食亊も取らづ宿も探さづただ其處にぼうつとしてゐた。
少し離れた噴水の側では一刻程前から小奇麗な格好をした靑年がヴアイオリンを弾いてゐる。
時々其の人の前に観客が出來てはヴアイオリンケエスに小銭等を投げて行く。
僕は榎夲先生の元で少しばかりクラツシツクを耳にしてゐたから、モホツアルトだとかヴラハムスだとかの知つてゐるメロデイが流れると、目を閉ぢて聞き入つた。
曲の題名等はちつとも思ひ出せはしなかつたけれど。心の弛緩(しかん)には役立つて呉れたやうだつた。
到頭(とうとう)空が赤々と染まり出して、ヴアイオリン靑年は歸(かえ)り支度を始めた。
今日の宿を如何しやうかと思ひ乍ら、其れでも重い腰を上げられづにゐた。
歸りがけのヴァイオリン靑年は何を思つたのか僕の前で、はたと足を止めた。
「君、ずつと此處に居るけれど、もしかして行く處がないのかい」
まさか声をかけられるとは思はず、びつくりして顏を上げた。
彼は僕より三つ四つ年上のやうに見へた。
赤のチエツクの帽子と色を合はせたスカアフを絞めた小粹な洋装。脊はさう高くはないけれど、脊筋の伸びたすらつとした何處か華の在る出で立ち。
切れ長の瞳が涼しく、額が丸く顎が尖つてゐる。
其の所爲か、例へて歌舞伎の女形みたいに中性的な印象があつた。



