賢治のことを思ふとやり切れづ、切ない。
結局夲當のことを、僕は賢治の家族に話すことが出來なかつた。
一つは其のことで賢治の家族が何らかの責任を追うのではと言ふ懸念。
もう一つは、と言ふより夲當の處、初めから此の理由しかなかつた。
僕の臆病風だ。
僕は卑怯者だ。何一つ明かさない儘、賢治の葬儀を終へた次の日さつさと村を出て了つた。
薄情者の僕は、賢治と僕の身に起こつた忌まはしい出來亊を口に出すことさへ恐ろしかつた。
其那僕が其れ以上村に留まること等(など)出來はしなかつた。僕は小心者だ。
矮小な心の冷たい酷い人間なのだ。
午前便のバスに乘つた僕は、追分停留所でバスを乘り換へた。
「顏が蒼いですけれど、大丈夫ですか?」
俯いた儘バスに乘り込んでゐたので、聲を掛けられる迄ちつとも氣が附かなかつた。
顏を上げると行きのバスで倒れた僕を解放して呉れた彼の白い帽子の女性だつた。
ぎくりと身を引いた。
女性の赤い唇がキヌタの女族長を思ひ出させたからだ。
女性の奥には夫君もゐた。
僕は通路を挿んで女性の隣に坐つてゐた。夫人は親しげな様子で言つた。
「追分にお泊まりでゐらしたの?」
「いえ……笹貫の先の……、F村と言ふ處に……」
「まあさうですの。F村と言ふ處は、昔から在る古い集落なんださうですわね」
「ええ……其のやうで……」
「實は私の曾祖父が彼の村の出身でしたのよ。
今は所縁(ゆかり)の有る方もゐなくなつて了つたさうで、私も夏には毎年こちらには遊びに來るんですけれど、笹啼(ささなき)の別荘へ行くだけで此那に傍ですのに一度も訪ねたことがないのです」
「……さうでしたか……」
「此那田舎の小さな村の名前何て、ともすれば忘れて了いがちですけれど、夫が笹啼に別荘を建てた時、曾祖父がをかしなことを言ふものですから、つい氣になつて了つて」
「をかしな……?」
「ええ。
曾祖父が言ふには、彼(あ)の村へ行つたら、月のない夜は外に出てはいけない。
もし月のない夜外で誰かに會(あ)つたのなら、何より先に紅菊と言ひなさいと。
何でも山に住む鬼が昔の自分の名前を呼ばれてつい油斷した處を捕まつて了つたらしくて、今でも紅菊と聞くと怯へて逃げて行くんですつて。
ね、をかしな話でせう?」




