【叔父様ノ覚エ書】~叔父様の書物をこっそりと読みましたら、叔父様が殺されたらしいとわかりました。お可哀想な叔父様。待っていてくださいね。美咲がきっと助けて差し上げます…~






 賢治は瞳を光らせて大きく頷いて見せた。

 賣り物の摘み食いを默つてゐた恩だらうか。兎に角賢治と僕との間に何らかの絆らしきものが生まれてゐた。

 旅は道聯(みちづ)れ世は情けと言ふけれど、僕の心境は正に其那感ぢだ。僕は此れが旅と言ふ物なのかしらと感慨し乍ら笹貫行きのバスに乘つて、F村の賢治の家を訪れたのだつた。



 F村は人口五十人程度の集落だつたが、バスは午前と午後に一度ずつ行き來があつた。

 手入れされた靑田が廣がり、たわわに育つた夏野菜の畠(はたけ)が続く道を行くと、萱(かや)葺(ぶ)きの民家が幾つか並んでゐた。

 其の家の一つに小振りの向日葵が咲き亂(みだ)れて、朝顏は軒先に日陰を作つてゐる。其れが賢治の家だつた。

 賢治の家族は祖父祖母、父母、其れから賢治の弟と妹がゐた。

 僕はかうして氣の弱い性格なのだから、内心夲當に泊めて貰へるのかしらと其れは心配をしてゐたのだけれど、一家は案外快く迎へて呉れた。



 夕食の時に話を聞くと、幼い乍らも賢治は長子として大層大切にされてゐた。

 長男を重んぢる慣例は何處でも同ぢだけれど、此の村では取分け守られるべき規律が有るのだと言ふ。

 町での野菜賣りは賢治が跡継ぎたる意思を持つて始めたことだと聞いて、僕は深い感銘を受けた。其の癖摘み食いをして了ふ當りなんか何とも憎めない。

 賢治の一家の素朴な暮らしともてなしに心温まる。農家の朝は早く、早々に床が用意された。

 そして其の夜、僕はF村の不思議な仕來たりを目にすることになるのだ。



 月が高くて何となく寝附けなかつた。

 戸板を開け放つた蚊帳(かや)の中は暑苦しいと言ふことはなく、また蛙の啼き聲が五月蠅(うるさ)くて煩はしいと言ふことでもなかつた。

 僕は昼間慣れないことをした所爲(せい)で疲れてゐた筈なのに、如何言ふ訳か眼が冴へてゐた。其の頃合いだつた。



「いいね、賢治。粗相(そそう)をするんぢやあないよ」

「わかつてるよ、母ちやん」



 闇の中から密かに聞こへた囁きに、何やら祕密(ひみつ)めいた匂いを感ぢて身體を起こした。

 戸口から夜闇に眼を凝らしてゐると、賢治らしき人影が山の方へ向つて行くのが見へた。

 長男に託された守られるべき規律何て尤(もつと)もらしいことを聞いた後だ。眠れないこともあつて僕の好奇心の虫は活發に疼き出した。

 氣輕な心構へで其の後を追うことにした。



 月夜の下、賢治の後姿を見失はないやうにして道を進んだ。

 よくよく注意してゐたのだけれど、しかして如何にも見失つて了つたらしい。

 戻らうにも、自分が通つて來た道が分からない。

 僕は蚊に食はれ乍ら其處に立ちんぼして了つた。

 暫く途方に暮れてゐると、



「あれ、和兄?」



 其の時、木の影から現れたのは賢治だつた。僕は情けないけれども随分ほつとした。



「此那處で何してるの」

「いや……何……其の……」