【叔父様ノ覚エ書】~叔父様の書物をこっそりと読みましたら、叔父様が殺されたらしいとわかりました。お可哀想な叔父様。待っていてくださいね。美咲がきっと助けて差し上げます…~


 


 山岡さんは大變(たいへん)な資産家らしかつた。

 廊下や坐敷の至る處には品の良い調度品と素人目にも價値の在りさうな有田や古伊萬里や掛け軸が體(てい)良く飾られてゐた。

 洋畫(ようが)もかなりの數(かず)が在り、大きい物から小さい物迄此(こ)れもまた其の爲(ため)に設へたと言ふ質の良い額に入れて飾つてあつた。



「大變な収集ですね」



 僕はあちこちを見渡した。

 お菓子を頬張つておタネさんの淹れた茶を美味しさうに啜(すす)り乍ら、山岡さんはお笑ひになつた。



「如何しても止められない私の趣味でねえ」



 是れは如何言ふ物ですかと尋ねると、其れはもう樂しげに滾々(こんこん)と説明(せつめい)をして下さつた。

 山岡さんはご自身でも繪(え)を畫かれる程の大變な愛好家で相手に暇が有ると見ると、是れは此處が素晴らしい、是が良いのだと延々とお話し続けるのだつた。

 夲當に目の肥へた人で、若手の畫家を自宅に招ゐては部屋をアトリエとして間借りさせてゐたこともあるさうだ。

 其の畫家の繪が此れだと見せて頂いたのは、今や畫廊や百貨店で何十と言ふ値が附(つ)けられてゐる新進氣鋭の山田劉吾(やまだりゅうご)だつた。

 何時(いつ)話が終はるのか判らぬ儘(まま)、僕は結局日が暮れる迄山岡さんの美術論評の講義を受けさせて頂いたのだつた。

 翌日、僕は山岡さんと枝垂れ櫻を見に山へ登つた。

 山岡さんの足腰は嘘ではないかと疑ふ程に強靭で、萬年貧弱な僕は後をついて行くのが精一杯だつた。

 櫻を見乍ら食べやうと言つて買つた彼(あ)の練り切りでさへ、僕には繊細かつ重過ぎる荷物だつた。



 小一時間山道を歩き続けて、漸(ようや)く目的の地に辿り着いた。

 少し汗ばんだ身體(からだ)に山間の風が吹き渡つて行く。

 櫻吹雪が山肌を撫ぜるやうに降りて行く姿は、さつき迄の疲れを一氣に洗い流して行くやうな清々しい心地がした。

 凍て附く季節を乘り越へて、漸く息吹いた其の可憐な花弁(はなびら)は何と比較をしても清らかで、其の癖何の躊躇(ためら)ひもなく散つて行く潔い様(さま)はいぢらしくさへ見へた。



「如何かね、渡邊君」

「大變素晴らしいです……」



 其の時の餘りに飾り氣のない僕の言葉に、僕は物書きの端塊(はしくれ)として有るまぢきことだつたと氣附き、また山岡さんも櫻に對(たい)する優美な表現を期待してゐたのではないかと思ひ附き、後々から恥づかしく思つたことを覺(おぼ)へてゐる。



 其れからと言ふもの、僕は山岡さんに附いて色んな處へ行つた。

 釣りに狩りに、川下りや電車に乘つて遠出をしたり、兎(と)に角(かく)僕はほぼ毎日のやうに一日中山岡さんに附き合つた。  



 山岡さんは殆(ほとん)どのことを自分一人で何でもお出來になつた。

 鳥渡(ちょつと)壞れた箪笥や天井の雨漏り何か、自分でさつと直して了(しま)ふ。

 料理の腕も確かで、時々釣つた魚や何かを振舞つて下さることもあつた。

 人から言はせると矢張(やは)り變(かわ)はつた人だつた。

 ご近所附き合ひも良く氣さくで温かな人だつたが、嫁を取らづ資産を継がせる子孫もゐない。

 餘り有る財を趣味の美術品集めと其の交友關係(かんけい)に注ぎ込む様子は、世間の人から見れば異質な人として屡々(しばしば)好奇に映つてゐるやうだつた。

 其のことについておタネさんに其れと無く聞いてみると、おタネさんも些細を知らない過去が有るらしい。

 氣にならないと言へば嘘になるけれども、人に詮索されたくない想ひ出の一つや二つ誰でもあつて當然だらうと思ふ。

 兎に角僕は其のことを深く追及しやうとは思はなかつた。

 其那山岡さんは、榎夲先生の過分な評價のお陰か大變良くして下さつたのだつた。