「入るぞ」

 短く断りの声がかけられると衣擦(きぬず)れの音が耳に届く。
 開けられたままの半蔀(はじとみ)の下をくぐり、時雨は(ひさし)へと入って来た。
 目隠しのための几帳(きちょう)から青みがかった黒髪が現れ、不機嫌そうな金の目が弧月を見下ろす。
 文机の上の紙屋紙(かやがみ)を見た時雨はこれ見よがしにため息をついた。

「大体それはお前の仕事じゃないだろう? 下級貴族に任せておけ」
「任せられるものはやらせている。……重要な案件は任せられないのだから仕方あるまい」
「だとしても妖の頂点である妖帝(ようてい)のすることじゃあない」

 断言する時雨に、弧月は苦笑するしかない。
 妖が統べるこの国・故妖(こよう)国は世襲ではなく力が強い者が帝として頂点に立つ。
 その力に畏怖(いふ)することで他の妖達は妖帝に従うのだ。……本来であれば。

「お前の言う通りだ。……だが、俺の場合は事情が異なるだろう?」
「……まあ、任せられる人材が不足しているのは分かるが」

 視線を逸らし渋い顔をした時雨は、勧められてもいないのに弧月の側にどかりと座った。

「だとしても誰より強い妖力を持つのはお前だ。歴代の帝は鬼の一族ばかりだが、お前だって一応その血は流れている」
「一応、な」

 そう。強い妖力を持つ者が妖帝となるため、歴代の帝は最強の妖である鬼ばかりだった。
 母は先々代妖帝の娘だったので自分にも確かに鬼の血は流れている。