ルーナル侯爵家の庭には大きなサクランボの木が生えている。
 緑の葉が生い茂る中、真っ赤なサクランボがチラチラと顔を覗かせている。

「わぁ! 美味しそうな色になってきたね」

 私がライネケ様に話しかけると、ライネケ様は興味がなさそうに鼻を鳴らす。

「ルネよ。吾が輩はチェリー酒よりワインが好きだ」
「もう、お酒じゃなくて、そのままでもおいしいよ!」

 私は木の下でピョンピョンと跳ねてみた。
 真っ赤なサクランボは、私の手に届くところに実っていない。

「あーん、やっぱり届かないですね……。お屋敷までいったん戻らないと……」
「面倒だな。諦めろ。使用人に頼めばいい」
「自分で取ってみたかったんです。でも無理ね」

 私が残念がると、キツネ耳も尻尾もショボンとさがる。
 がっかりして、屋敷に戻ろうとしたところ、向こうから人影がやってきた。 

「おーい! 梯子、持ってたぞー!」

 バルが燥ぎながらやってきた。そういいながらも、ブンブンと振っている手に持っているのはカゴだ。
 実際に梯子を持ってきたのは、お義兄様である。

「お義兄様! バル!」

「ちょっと待っていて。ルネ」

 お義兄様は梯子を立てかけると、かごを片手にスイスイと登って行った。
 私は軽やかに登っていくお義兄様をあこがれのまなざしで眺め見る。

「お義理兄様、かっこいい……!」

 ため息交じりに呟けば、ムッとしたようにライネケ様が私を見た。

「あれくらい、我が輩にもできる!」

 そう張り合って、ボフンと巨大化した。

「さあ、ルネ、我が輩の背中に上れ!!」
「ライネケ様……。だったら最初からそうしてくれたらよかったのに……」
「なぜだ? 文句があるなら元に戻るが」
「文句なんてありません!」

 ライネケ様の気まぐれは相変わらずで、機嫌を損ねないように私は答えた。

 お義兄さまは梯子の上で苦笑いだ。

「ねぇねぇ! オレも乗りたーい!!」

 バルがいうとライネケ様が面倒くさそうにため息をついてから、尻尾を地面に打ち付けた。

「仕方がない。乗るがいい」

 私とバルはライネケ様のしっぽから、モフモフと背中によじ登る。

「しっかりつかまっておれ」

 ライネケ様はそういうと、むくりと起き上がった。

「わぁぁぁ」
「きゃぁぁ」

 バルと私は歓声をあげる。
 目の前には真っ赤なサクランボがタワワに実っている。

 バルは目の前にあった真っ赤なひとつぶをもぎ取って、ポーンと口に放り入れた。

「真っ赤だったのに! まだ酸っぱい!」

 顔をくしゃくしゃにするバルを、ライネケ様とお義兄様が笑う。

「日差しのあたる場所にあるもので、おしりが平らな実が甘いそうだよ」

 お義兄様が教えてくれる。

「リアムは何でも知ってるな!」

 バルは感心した目でお義兄様を見ると、素直におしりが平らなサクランボを探して口に入れた。

 そして、瞳をパッと輝かせた。

「! んー! 美味しいぃ!! ぬるい! お日様の温度がする!」

 破顔するバルにつられて私もサクランボをつまんだ。

 ほんのりと温かく、甘くて、すっぱくて、食事の時に出される冷たいサクランボとはひと味違う。口の中に幸せがいっぱい広がっってゆく。

「おいしい~!」

 私は両手いっぱいにサクランボを摘む。
 そして、ライネケ様におろしてもらい、お義兄様が登る梯子の下に駆け寄った。
 お義兄様はカゴを片手に降りてくる。

「お兄様! 美味しいサクランボ、いっぱい!」

 私が見せると、お義兄様はよしよしと私の頭を撫でた。

「頑張ったね。ご褒美に……」

 そう言って、私の唇にお兄様が摘んできたサクランボを押し当てた。
 そのサクランボは、私が摘んできたサクランボよりずっとずっと甘くておいしい。

「お義兄様のサクランボのほうがおいしい! 私もお義兄様にあげたかったのに……」

 私は少ししょんぼりだ。

「きっと、ルネのサクランボのほうがおいしいよ。だから、食べさせて?」
 
 そういって屈むお義兄様の唇にサクランボをそっと寄せる。
 指先に唇が触れて、私のしっぽはピンと立った。

「うん。やっぱり、美味しいよ」

 お義兄様が幸せそうに笑うから、私はもうなにも言えない。

 するとバルが、私の手とお義兄様のカゴからサクランボを拝借する。
 そして、口に含んで首をかしげる。

「おんなじくらい美味しいけど?」

 不思議そうなバルを見て、ライネケ様は鼻で笑った。

「互い互いを思って摘んだ実だ。それはなによりおいしいはずだ」

 ライネケ様の言葉に私とお兄様は顔を見合わせる。

 サクランボのように真っ赤になった私たちの間を、甘い風が駆け抜けていった。