〇学校・会議室手前の空き教室(放課後)

瑚白の耳裏に右手を差し込み、左手で腰を抱き濃厚なキスを続ける紅牙。
執拗に舌を絡められる。


瑚白「んっ……はっ……」


瑚白は苦しそうではあるものの、強く拒めずにいた。


瑚白(くるっ、し……頭、溶けそう……抵抗しなきゃ、ないのに……)


少し離れると見える紅牙の目。
エメラルドグリーンの瞳は真っ直ぐ瑚白を見ていて、切なげにも見える。


瑚白(こんな目で見られたら、拒めないよ……)

紅牙「はぁっ……瑚白……っ」

瑚白(合間に呼ばれる声も、何だか甘いし……何より、嫌ではなくて……)

瑚白「っは……こ、が……せんぱ……んっ」

瑚白(何で私、ちょっと嬉しいとか思ってるの?)


抵抗しない自分に戸惑う瑚白は、結局最後まで紅牙の唇を受け入れていた。
チュッと唇を吸われ、離れて行く紅牙。
妖艶さすら垣間見える美しい顔には僅かに微笑みが浮かべられる。


紅牙「……かわいい」

瑚白「えっ……⁉」


聞き返す瑚白の顔から手を離し、両腕でしっかり抱き締める紅牙。
息を呑み驚く瑚白。
瑚白からは見えない紅牙の表情は真剣そのものだった。


紅牙「ごめん、エンゲージはまだしない。それと、一途に愛する人狼としての(さが)を抑えるって言ったけど、もう出来ない」

瑚白「え?」

瑚白(それってどういう……)


腕の力を緩め体を離した紅牙は、申し訳なさそうに微笑む。


紅牙「瑚白に対してだけは、自制効かないみたいだから……だから、ごめん」


〇学校・教室(朝)

自分の席に座り頭を抱えるようにうつむく瑚白。

瑚白(何なんだろう? どうしてこうなった? 何で私、抵抗しなかったの?)

<あの後は普通に実行委員の仕事したし、部屋に帰っても普段通りだったからもしかして幻でも見てたんじゃないかとか思ったけれど……>


〇回想・紅牙の部屋(朝)

紅牙「瑚白、今日のハグは?」

瑚白「え⁉」


先に部屋を出ようとしていた瑚白に紅牙は笑顔で指摘する。


瑚白(やっぱり今日もするの? 昨日のことが原因で近付くのがちょっと怖いんだけど……)

紅牙「ほら、一日一回ハグする約束だろ?」

瑚白「うっ……はい」

瑚白(まあ、約束だし……いつものハグだけなら、まあ何とか……)
瑚白(なんて思った私がバカだった!)


いつものようにギュウッと抱き締められ、頭に頬をスリスリされて恥ずかしがる瑚白。
真っ赤な耳に紅牙の唇が近付く。


紅牙「瑚白……」

瑚白「っ⁉」


甘く囁いたかと思うと、そのまま赤い耳を甘噛みする紅牙。
流石に驚いた瑚白はバッと顔を上げ驚愕の表情で紅牙を見上げる。
紅牙の頭には初めはなかったはずの狼耳がいつの間にか出ていた。


瑚白「なっなっなっ⁉」


言葉が出てこない瑚白に、紅牙はフッと笑ってチュッと触れるだけのキスをする。


瑚白「っ⁉」


今度は声も出せない。
そんな瑚白に紅牙は少しだけ申し訳なさそうな顔をして口を開く。


紅牙「悪い、でもこれでも抑えてるんだ。……瑚白には自制効かないって言っただろ?」

瑚白「っ~!」

紅牙「本気で嫌がるならやめるから……嫌なら突き飛ばしてくれ」


真っ赤になった瑚白の耳に囁いて、紅牙はまたギュウッと抱き締めた。

(回想終了)


瑚白(私も何で突き飛ばさないのよ⁉)

詩乃「瑚白、こーはーくー?」


頭を抱えたままの瑚白に詩乃ののんきそうな声が掛けられる。


詩乃「いつも以上に悩んでるみたいだけど、どうしたの? いつもみたいに相談乗るよ?」

瑚白「そ、それは……」


腰を曲げて覗き込んでくる詩乃に、瑚白は気まずそうに視線を逸らす。


瑚白(流石にキスされたこととか、抵抗出来なかったこととかは話しづらいなぁ……)

詩乃「瑚白~? 吐いちゃった方が身のためだぞ~?」

瑚白「な、何?」


胡散臭そうな笑みを浮かべた詩乃は瑚白の背後に回り込み、脇をくすぐり始めた。


瑚白「ひゃっアハハ! ちょっ、やめて~!」

詩乃「やめて欲しいなら吐け~! 一人で悩んでいたって解決しないよ?」

瑚白「わ、分かった! あはは! 後でちゃんと話すから!」

瑚白(いくら何でも他にも人がいる場所では話せないよー)


一応話すと約束したので、詩乃のくすぐり攻撃は終了した。

〇男子寮・満の部屋(放課後)

瑚白「お、お邪魔しまーす」

詩乃「まあ入って。満には大事な話するから他で時間潰しておくように言ったし」

瑚白「うん、ありがとう」

瑚白(他の人狼の部屋に入るの、初めて。……間取りは大体同じかな? でも内装が違うだけで結構雰囲気違うなぁ)


促されるまま中に入ってソファーに座った瑚白は軽く見回してそんな感想を覚えた。
アイスティーを出してくれた詩乃は、向かい側にあるスツールに腰を下ろし真っ直ぐ瑚白を見る。


詩乃「さ、それで? 何があったの?」

瑚白「う、うん……」


出されたアイスティーをコクリと飲んでから、瑚白は話し出した。


瑚白「……てなことがあってキスされたんだけど、私どうしてか嫌じゃなくて抵抗できなくて……」


一通り話し、またアイスティーを飲んだ。
コクリと飲み込んでから改めて見た詩乃の表情は呆れが大いに含まれている。


詩乃「……瑚白、それ、本気で言ってる?」

瑚白「え?」

詩乃「『どうしてか嫌じゃなくて』って、もう答えは出てるようなものじゃない」

瑚白「え? そうなの? ごめん、分からない」


気付いていない瑚白は本当に戸惑って困った顔をする。
詩乃は大きくため息を吐いてから指摘した。


詩乃「はあぁぁぁ……。それってさ、瑚白は神矢先輩のこと好きってことでしょ?」

瑚白「え……? ええぇぇぇ⁉」


一拍置いてから盛大に驚きの声を上げる瑚白。


瑚白(好きって、異性としてってことだよね?)

瑚白「そ、そんな。だって、私たちはエンゲージ失敗前提の番関係だし。それに私紅牙先輩に強引に番にさせられたんだよ?」

詩乃「でも、キスされて嫌じゃなかったんだよね?」

瑚白「うっ」

詩乃「しかもちょっと嬉しいとか思ったなんて、もう疑いようもないでしょ」

瑚白「ううぅ……で、でもぉ……」


認めたくない瑚白に、詩乃はまたため息を吐く。


詩乃「……そんな状況でも認めたくないのって肩の傷のせい? 見られるのが怖くて、自分の気持ちを認めるのも怖いの?」

瑚白「っ⁉」

詩乃「図星だ」


図星を指されて身を固くする瑚白の緊張を和らげるように、詩乃はからかうような笑みを浮かべた。


詩乃「神矢先輩が瑚白にだけ抑えが効かなくなるってのもさ、あの人にとって瑚白が今まで番にしていた子たちとは違うってことでしょう? つまりは、本気で好きってことじゃない?」

瑚白「っ!」


薄々思っていたこととはいえ、人からハッキリ言葉にされたことで瑚白はその事実を自覚する。
と同時に、息を呑んで顔を真っ赤にさせた。


詩乃「今、嬉しいって思った?」

瑚白「そ、れは」

詩乃「思ったんなら、もう認めちゃいな。傷のこととかそういうのは置いといて、まずは自分の気持ちに素直になることが大事だよ?」

瑚白「詩乃……」

瑚白(そっか、そうだよね)


瑚白は自分の気持ちを噛みしめるように微笑み、大事な言葉を口にする。


瑚白「うん……私、紅牙先輩のことが好き」

詩乃「よし! じゃあ後はお互いの話し合いだね」

瑚白「話し合い?」


手を叩いて次にするべきことを提案する詩乃に、瑚白は首を傾げる。


詩乃「そうだよ。瑚白の不安も話さなきゃ伝わらないし、神矢先輩が異端の王子って呼ばれるようになったのも何か理由がありそうだし、話し合いは必須でしょう」

瑚白「……そうだね」

瑚白(自分の気持ちはハッキリさせた。後は傷のことをちゃんと伝えられるかで紅牙先輩とどう向き合うべきかも決まる)
瑚白(それに、紅牙先輩にとって私がどう他の子と違うのか、これからどうすればいいのか。そういうことは話し合わないと始まらない)


決意した瑚白は、アイスティーのグラスを持ち上げて詩乃に笑顔を向ける。


瑚白「話を聞いてくれてありがとう、詩乃」

詩乃「どういたしまして」


詩乃も自分のグラスを持ち上げ、健闘を祈るようにコツンとグラスを当てた。


〇男子寮・紅牙の部屋のシャワー室(夜)

キャミソール姿になって、鏡越しに左肩の傷を見る瑚白。


瑚白(私が怖がっていることを話したら、これを見せることになるかも知れない……)

瑚白「よし! せめて綺麗に洗っちゃおう!」


瑚白は片手で拳を握り、不安を吹き飛ばすように意気込んだ。

〇男子寮・紅牙の部屋のリビング(夜)

一人ソファーに座り考え込んでいる紅牙。
テレビをつけてはいるが、見てはいない様子。


紅牙「俺は、どうしたいんだろうな……」

紅牙(瑚白のことは手放したくない。そして、出来ればエンゲージを成功させたい。そのためにはまず瑚白にちゃんと俺を好きになって貰わないと……)

紅牙「でも……」


目を閉じ、瞼を隠すように手のひらを乗せ上を向く。


紅牙(今まで俺を好きだと言ってくれた子たちには、触れることすら出来なかった。瑚白にも好きだと言われたら、結局触れなくなるんじゃないか?……それが、怖い)

紅牙「それに、例え大丈夫だとしても……」

紅牙(エンゲージは、ただ好きだからなんて気持ちで成功出来るものじゃない。それを俺は誰よりも分かってるはずだ)


フラッシュバックする恐怖に満ちた女の表情。
閉じた目元にギュッとしわを寄せ記憶が過ぎ去るのを待った。


紅牙(瑚白にまで、あんな目で見られたくない)


抱き締めると耳を赤くして照れている瑚白を思い出す。


紅牙(かわいい瑚白。手放したくないし、出来ればエンゲージをして成功させたい。……でも、だからこそ怖い)

紅牙「……本当、どうしたらいいんだろうな」


独り言ちると、丁度ガチャッと音がしてシャワールームのドアが開き瑚白が出てきた。
瑚白は真っ直ぐ紅牙のもとへ行き隣に座ると、彼を見上げる。


紅牙「瑚白?」

瑚白「紅牙先輩、大事な話があります」

紅牙「っ……何? どうしたんだ?」


真剣な様子に一瞬たじろぐも、優しく微笑む紅牙。


瑚白「私たちのこれからについてです」

紅牙「……」


恐れていたことが現実になりそうな状況に少し表情をこわばらせてしまう紅牙。
瑚白は恥ずかしそうに下を向いたので、その表情には気付かない。


瑚白「まず確認したいんですが……紅牙先輩は、私のことどう思っているんですか?」

紅牙(……かわいい)


恥じらう瑚白に予想通りの展開になりそうだと思う紅牙。
だが、純粋な思いは変わらなかった。


紅牙「好きだよ。約束通り人狼の(さが)を抑えてエンゲージ失敗しようと思っていたけれど……真面目で真っ直ぐな瑚白に初めから惹かれていたんだと思う。避けられて、悲しくて、側にいて欲しいと思った。触れたくなった」


切なげな表情でほんのり赤く染まった瑚白の頬に触れる紅牙。


紅牙「他の男に笑いかける君を見て、嫉妬でどうにかなってしまいそうだった。今はもう手放したくなくて……エンゲージを成功させて、ずっと側にいて欲しいと思ってる」

紅牙(エンゲージに対してはまだ怖い。でも、これは今の正直な気持ちだ)


見つめ合う二人。
瑚白も勇気を出して口を開く。


瑚白「私は、その……初めは紅牙先輩のこと遊び人だと思っていたし、強引に番にさせられたから最初の目的通り内申点のために利用すればいいやって思ってました。でも、紅牙先輩は優しいし……可愛いところもあるし……」

紅牙(……可愛い? いや、男にそれはどうなんだ?)


内心突っ込みたい気持ちを笑顔で抑え込む紅牙。


瑚白「良い人だって分かったから、紅牙先輩にはちゃんとした番を見つけて欲しいって思っていたんです。……でも」


瑚白は恥ずかしさに耐えるように顔を真っ赤にさせつつ、頬にある紅牙の手に自分の手を重ねる。


瑚白「抱きしめられて、キスされて……私、それが嫌じゃなくて……むしろ嬉しくて。私以外の子が紅牙先輩の隣にいるのは嫌だなって思ったんです」


頬を染めながら、微笑みを紅牙に向ける。


瑚白「だから、その……私も、紅牙先輩が好きです」

紅牙「っ!」


息を呑み、思わず瑚白を抱きしめる紅牙。
その頭には狼耳が現れている。


紅牙「嬉しいよ、瑚白」

紅牙(好きだって言われたら触れなくなる? そんなこと全くない! 真逆だ。嬉しくて、好きが溢れてくる。もっと触れたくなってる)


予想とは違う自分の感情にも嬉しいと思う紅牙。
感情の赴くまま、瑚白にキスしようとする。


瑚白「ちょっ、待ってください!」


でも瑚白に口を押さえられキスを阻まれてしまった。
不満でジトッとした目を向ける紅牙。


瑚白「その、両思いなのは嬉しいんですが……私、紅牙先輩に受け入れてもらえるか心配なことがあって……」


恥ずかしそうだった表情が悲し気なものになる。
そんな瑚白を見て、紅牙は一度彼女から腕を離し聞く体勢になった。


瑚白「私、小さいころ野犬に噛まれて……左肩に傷が残っているんです。その傷をからかってオバケ扱いされたこともトラウマで……」


不安そうに左肩に手を当てる瑚白。
紅牙は安心させるように優しく微笑んだ。


紅牙「……左肩に触れると強張っていたのは気付いてたよ。……その傷、見せてもらってもいい?」

瑚白「うっ……はい」


部屋着の首元を緩めてずらし、左肩を見せる瑚白。
傷を見られる怖さもあるが、自分から肌を見せる行為が純粋に恥ずかしい。

恥ずかしがる瑚白に、紅牙は傷そっちのけで欲情しそうになった。


紅牙(いや、ダメだ。今押し倒しちゃダメだろ、色々と)


微笑んだまま顔を強張らせ何とか耐える。
そして傷痕を見た。


瑚白「気持ち悪いですよね、こんな傷……」


拒絶されることを怖がる瑚白に紅牙は手を伸ばしその肩に触れる。


紅牙「痛々しいとは思うけど、気持ち悪いとは思わないよ」

瑚白「そう、ですか?」

紅牙「ああ。でも……」


ホッとした瑚白に、紅牙は顔を近付け左肩に頭を埋める。
そして傷痕に吸い付くようなキスをした。


瑚白「っ⁉ 紅牙先輩⁉」

紅牙「なんて言うんだろう? 怒り……これは嫉妬かな? 瑚白にこんな傷を残すなんて……どうせなら、俺が痕をつけてやりたい」


言うと、今度は傷痕を辿るように舌を這わせる。


瑚白「ひゃっ⁉ こ、紅牙先輩っ? あのっこれ以上は……」

瑚白(ナニコレ! ナニコレ⁉ これは流石に想定外すぎるー!)


テンパる瑚白に、紅牙は少し慌てて離れた。


紅牙「ああ、ごめん」

紅牙(しまった。流石に性急すぎたか?)

瑚白「い、いえ……その、傷痕も受け入れてもらえて良かったです……ありがとうございます」


恥ずかしがりながらいそいそと肩を隠し首元を戻す瑚白。
それを見つめる紅牙。


紅牙(瑚白は、俺にちゃんと受け入れてもらいたいと思って傷痕も見せてくれたんだな……なら、俺も覚悟を決めよう)

紅牙「……瑚白、話してくれてありがとう。俺の話も、聞いてくれる?」

瑚白「紅牙先輩の?」

紅牙「ああ……俺がどうして異端の王子なんて呼ばれるようになってしまったのか……その理由」


静かに微笑む紅牙に、瑚白は真面目な顔になって彼の目を見る。


瑚白「……はい、教えてください」

【五話 瑚白の気持ち END】