〇男子寮・紅牙の部屋のリビング(朝)

顔を洗うためタオルを持って自分の部屋を出る瑚白。
リビングのソファーでコーヒーを飲んでいた紅牙と目が合う。


紅牙「おはよう、瑚白」

瑚白「……おはようございます」


警戒心丸出しの瑚白は紅牙を避けるように壁際を移動し洗面台のあるシャワールームの部屋のドアへ入った。
それを見送り困り笑顔で息を吐く紅牙。


紅牙「ははっ……ちょっとやりすぎちゃったかな?」


〇学校・食堂(三日後の昼)

大勢が昼食を取っている食堂で瑚白は詩乃と詩乃の彼氏である満の前に座っていた。


満「で? 俺に相談って何なんだ?」


言うと、かつ丼を口に入れもぐもぐと食べる満。
対面する瑚白はサンドウィッチを一口食べ終え苦笑いで答えた。


瑚白「いや……なんていうかその……番関係の人狼との距離感に悩んでるというか……」

満「距離感? そんなのくっついてるのが一番だろ?」


何を当たり前のことをと呆れ気味にまたかつ丼を口にする満。
瑚白はうっと呻いて視線を下に向ける。


瑚白「そうかもだけど……その、くっついていたくない場合はどうすればいいのかなって」

満「何だよ、ケンカでもしたのか?」


箸を止めて眉を寄せ瑚白を見る満。
すると隣の詩乃が困り笑顔で説明した。


詩乃「いや、瑚白と神矢先輩はちょっと事情が違っててさ……」


一通り説明を聞いた満は腕を組みうーんとうなる。


満「異端の王子か……また面倒な人の番になったな? いや、でもそういう事情なら丁度いいのか?」

瑚白「ま、まあ。そういうことだから男女の関係とかはなる気は無くて、でも初日にちょっと迫られちゃって警戒しちゃうんだよね」

満「警戒? 具体的には?」

瑚白「学校で見かけても隠れちゃったり。寮では基本部屋に引きこもって、シャワーとかのときは壁際を移動して近付かない様にしてて……」


瑚白の話に、満は呆れ、驚愕の顔をし、青ざめた。
それを見た瑚白は気まずそうに苦笑いを浮かべる。


瑚白「やっぱり流石にまずいかな? この距離感」

満「まずいなんてもんじゃねぇぞ……」


大きくため息を吐きながら片手を額に当てる満。
大真面目な顔になって、瑚白を真っ直ぐに見た。
少し睨んでいる様にすら見える。


満「いくらエンゲージ失敗前提の関係だったとしても、今は番関係なんだろ? だとしたら、神矢先輩はちゃんと朱河のこと一途に思ってる。人狼っていうのはそういうもんだ」

瑚白「……うん」

瑚白(ちょっと気に入ったって程度の私に、いきなり一途になるっていうのが想像つかないけど……まあ、あの甘い態度である程度は分かるかな?)

満「本当に分かってんのか?」


胡散臭いものを見るような目で瑚白を見る満。


瑚白「まあ、大体は」

満「いや、分かってないだろ。今がどんなにマズイ状況か気付いてないみたいだし」


頷いた瑚白に満は焦りすら滲ませた真剣な顔になる。


満「人狼は番を一途に愛する。そんな風に避けられて、辛くないわけがない」

瑚白「え? 辛い?」

満「そうだよ。単純に考えても、好きなやつに避けられたら悲しいだろ?」

瑚白「あ、確かに」

瑚白(じゃあやっぱり今の状態は良くないよねぇ……とりあえず極端に避けるのだけは止めといた方がいいかな?)


一先ずの答えが出て、カフェオレを飲みながら瑚白は今後どうしようか考える。
その様子を見て満がすわった目を向けた。


満「本当に分かってんのか? 早く態度改めないと、反動で襲われても知らねぇぞ?」

瑚白「ぶっ! ゴホッゴホッ!」


カフェオレをふき出しそうになりむせる瑚白。
口元を拭って驚きをあらわに満を見る。


瑚白「襲われる⁉ 何で⁉」

満「人狼は番とは出来るだけ一緒にいたいんだよ。それなのに部屋にいるときでさえそんな風に避けられたら寂しいなんてもんじゃないし、反動でいつもよりもっと欲しくなる」

詩乃「ああ……あれね」


満の言葉に、スパゲッティーをフォークで巻きながら詩乃がげんなりした顔になる。


詩乃「前にケンカして私が満のこと丸一日無視したとき。仲直りしてからの執着が凄かったっけ」

瑚白「え? そんなに?」

詩乃「うん、部屋にいるときは常にべったり。夜も全然離してくれなくて……」


はぁ、とため息を吐く詩乃。
その肩に腕を回し抱き寄せる満。


満「んなこと言って、『こんなに求められて、どれだけ思ってくれているか分かって嬉しい』とか言ってたじゃんか」

詩乃「ちょっ⁉ そーゆーことこんなところで言わないでよ!」


目の前でイチャつき始める二人をよそに、瑚白はサンドウィッチの乗った皿を見つめ動揺し汗を流していた。


瑚白(や、やばい……水谷くんの言うことが本当なら、あのとき以上のことになるかもしれないってこと⁉ もう三日は避けてるのに……どうなるか分からなくて話しかけるのも怖いんですけどー⁉)


〇学校・会議室(放課後)

静かな会議室の中、瑚白と紅牙は二人きりでパンフレットの校正作業をしていた。
向かい合って黙々と作業をしている。


瑚白(話しかけるのすら怖いと思った矢先に二人きりで作業とか……)


チラリと作業をしている紅牙を見る瑚白。
真面目に作業をしている紅牙が視線を上げ、目が合いそうになって自分も作業に戻った。


瑚白(他の実行委員の人たちは別の部屋を使ってるし、広報班の他の二人は用事があるって帰っちゃったし……うぅ、気まずい)

紅牙「瑚白?」

瑚白「え? はい⁉」


気まずく思っているところに名前を呼ばれ、瑚白は大げさにビクついて返事をする。


紅牙「こっちは終わったから、そっちの貸して」

瑚白「え? あ、すみません」


近くにあるパンフレットの原稿を手渡すと、指先が少し触れる。
思わずバッと手を離してしまう瑚白に、紅牙はグッと眉間にしわを寄せた。


紅牙「……瑚白、そこまで俺のこと嫌い?」

瑚白「え? は? 嫌い?」

紅牙「確かにこの間は少しやりすぎたとは思う。無防備なの気をつけろとも言ったし」


テーブルの上で手を組み、そこに額を押し付けるようにうつむいた紅牙。
その様子はどんよりとして落ち込んでいる。


紅牙「でもここまで避けられるとへこむ」

瑚白「え⁉ えっと……ごめんなさい」


戸惑いながらも謝る瑚白を紅牙は少し顔を上げ悲しげに見つめる。


紅牙「この間、番にした女からは良い匂いがするって言ったよな? だから欲しくなるって」

瑚白「あ、はい」

紅牙「でも瑚白とはいずれ番関係を解消する予定だから、俺はこれでもその欲求を抑えてる」

瑚白「……はい」

瑚白(確かに、水谷くんの話を聞いた感じだと普通の人狼は番に対してもっと積極的みたいだもんね)

紅牙「なのにこんなに避けられまくって……正直かなり辛い」


また項垂れる紅牙に、瑚白は困惑気味に慌てる。
紅牙は控えめに顔を上げ、悲し気な顔で瑚白を見た。
上目づかいしている様にも見える。


紅牙「なぁ……そんなに俺が嫌いか?」

瑚白「っ⁉」

瑚白(なっ……こう来たかー!)


衝撃を受ける瑚白。
目の前に狼耳をペタンと下げて(幻覚)しょんぼりしている様に見える紅牙。


瑚白(興奮してるわけじゃないから出てるはずがないのに、悲しそうに伏せてる狼耳が見える!)


捨てられた子犬の様な幻覚すら見えた。


瑚白(先輩なのに! 王子なのに! 大丈夫だよーってわしゃわしゃしたくなるじゃない!)

瑚白「き、嫌いになんかなってませんよ? ただ、あんな風に迫られてどう接したらいいか分からなかっただけです」


内心の動揺を抑え込み無難な言葉を返す。
すると紅牙はパッと表情を明るくした。
幻覚の耳がピンと上を向く。


紅牙「本当に? 本当に嫌いになったから避けていたわけじゃないのか?」

瑚白「ほ、本当ですよ」

瑚白(なにこれ可愛い。ワンコだ。ワンコがいる!)


もはやブンブン振っている尻尾まで見えるようだった。
よしよしと撫でてしまいたい衝動に駆られる瑚白。


瑚白(いっそ撫でたい。いやダメダメ! それは流石に失礼でしょ⁉)

紅牙「じゃあ、もう少し触れてもいいか?」

瑚白「は、はい……って、え?」


思わず了承した瑚白は言葉を理解してから戸惑う。
紅牙は立ち上がり、そんな瑚白の側に回った。


紅牙「ちょっと立って」

瑚白「え? あっ」


瑚白の手を取り、軽く引き上げる紅牙。
そのまま引かれ瑚白は紅牙の胸にトン、とぶつかった。


瑚白(え? ええ⁉)


戸惑っているうちに背中に腕を回され抱き締められる形になる。


瑚白「ちょっ⁉ 紅牙先輩⁉」


見上げて抗議の声を上げる瑚白に、紅牙は優しい笑みを向ける。
その頭には狼耳があった。


紅牙「変なところは触らないから、ハグさせてくれ」

瑚白「うっ、え? えっと……」

瑚白(ハグだけならいいのかな? 襲われるよりマシ? でも狼耳見えるんだけど……これは幻覚じゃないよね?)

紅牙「いいだろ? 避けられていたから瑚白が足りない」

瑚白「うっ……分かりました」


恥ずかしそうに頬を染めながら了承する瑚白に、紅牙は腕の力を強めてギュウッと抱き締める。
息を詰める瑚白の耳元に唇を寄せ、囁いた。


紅牙「一日一回でいいから、こうしてハグしてくれないか? ちゃんと瑚白を補給できれば、抑えられるから」

瑚白「うっ……まあ、一回だけなら……」


紅牙の胸に顔を埋めながら渋々と答える。


紅牙「良かった」


安堵した紅牙はそのまま瑚白の頭に頬を擦り付けた。


紅牙「瑚白……」

瑚白「っ!」


甘ったるい呼び声にドキッと心臓が跳ねる。


瑚白(ああもう、このギャップは反則だよ)


髪を撫でられドキドキが治まらない。


瑚白(さっきまではワンコみたいだったのに、今は男の人――狼だ)


そしてチュッと頭にキスをされ驚いた瑚白は顔を上げた。
信じられないものを見るような目をしている。


瑚白「っ⁉ 何を⁉」

紅牙「何をって、髪にキスしたんだよ?……ああ、もしかして」


ピトッと瑚白の唇に紅牙の人差し指が触れた。


紅牙「こっちが良かった?」

瑚白「なっ⁉ からかわないでください!」


紅牙の胸を押して離れようとする瑚白。


瑚白「もう十分ですよね⁉ 離してください!」

紅牙「ああ、ごめん。もうしないからまだもう少し。……まだまだ足りないんだ」


今度は実際に出ている狼耳がペタンと伏せる。
その仕草が可愛く見えて、瑚白は折れてしまう。


瑚白「っ……もう少しだけですよ?」

瑚白(……ほだされないようにって思っていたのに、これもうほだされちゃってる気がする)


仕方ないとまた紅牙の胸に顔を埋める瑚白。
そして彼女の耳が真っ赤なのを見て、紅牙は嬉し気な笑みを浮かべた。


紅牙「瑚白……君が俺の番であるうちは、ちゃんと側にいてくれ」

瑚白「……分かりました」


懇願するような紅牙の言葉に、瑚白は深くは考えず仕方ないなといった様子で答えた。

【三話 ギャップに撃沈 END】