〇 学校・裏庭(放課後)
ひと気の少ない裏庭で狼の耳を出した状態の神矢紅牙が朱河瑚白を後ろから抱き締めている。
瑚白「ちょっ! 何を⁉」
紅牙「じっとしてろよ」
そのまま瑚白のうなじを甘噛みする紅牙。
瑚白「っ!」
息を呑み紅牙から離れた瑚白。
うなじを片手で押さえながら顔を真っ赤にして紅牙を睨む。
相対した紅牙は唇を舐めて満足そうに笑った。
紅牙「これで君は俺の番だ」
瑚白(どうして……)
紅牙「俺にドロドロに愛される覚悟、決めておけよ?」
瑚白(どうしてこうなったー⁉)
〇時は遡り二年の教室(HR中)
担任の男の先生が両手を教壇に乗せてニヤリと笑う。
先生「夏休み気分が抜けないかもしれないが、まずは早々に文化祭実行委員を決めなきゃならん! 誰か立候補はいるか?」
男子「えー? めんどくせー」
女子「文化祭は楽しみでも、実行委員はねー」
皆が嫌がっている雰囲気の中、瑚白は勢いよく右手をピンと真っ直ぐ上げて立ち上がった。
瑚白「はい! 私実行委員やります!」
〇教室(放課後)
詩乃「ホントもの好きだね、瑚白って。面倒な実行委員に自分から立候補するなんて」
学生鞄にノートなどを入れ帰る準備をしている瑚白に、親友の相良詩乃が呆れた様子で言う。
瑚白「だって、少しでも内申点上げたかったんだもん」
詩乃「内申点上げたければさっさと誰かと番関係になればいいじゃない。ここはそのための学園なんだし」
瑚白「……」
詩乃の言葉に不満顔になる瑚白。
<この花森学園は希少種である人狼の花嫁――通称番を探すための学園だ>
<学園に通う男子は皆人狼で、その番となるよう全国から人間の女子生徒を多く募集している>
<だからこの学園に入学した女子生徒は人狼と番関係になることが推奨されているのだけど――>
瑚白「でも本当の番になるためのエンゲージで失敗するともう番になれないでしょ?」
<何でも、ただ番になっただけでは人狼と結婚出来ないらしい。詳細は明かされていないエンゲージという儀式を成功させることで正真正銘の番になれるんだとか>
瑚白「失敗して好きになった人と一緒にいられないならって自主退学する子が多いでしょ? 私、それだけは絶対に避けたいから!」
詩乃「はいはい、それは何度も聞いたよ」
そのまま詩乃は身振りを加えて続きを解説するように話す。
詩乃「『朝昼晩食事付きの寮も学費も全額免除! その上最高の教育を受けられると銘打つ学園! 付属の大学にも優先的に入ることが出来て、貧乏な私が大学に進学して将来安泰な職に就くためにはこの学園しかなかったの!』でしょ?」
瑚白「そうだよ。だから番にはなりたくないの」
詩乃「でも必ずしも退学しなきゃいけないわけじゃないし、実際に残って卒業している女子生徒だっているじゃない」
瑚白「そりゃ、そうだけど……」
詩乃「んーじゃあ……そうだ!」
渋る瑚白に詩乃は人差し指を立て何かを思いつくと、内緒話しをする様に口元に手を添え顔を近付けてくる。
詩乃「初めからエンゲージ失敗目的で番にしてもらえば?」
瑚白「は? そんな事出来るわけ無いでしょ? 人狼はみんな花嫁になる番を探してるんだよ? そんな無駄な事してくれる人なんて――」
詩乃「それがいるんだって! ほら、三年に異端の王子って呼ばれてる先輩がいるでしょう? この前まで番関係だった一年の子の話聞いた?」
瑚白は興味ないとばかりに鞄の口を閉じ眉を寄せる。
瑚白「知らないよ。興味ないし」
詩乃「まあ聞きなって。何でもその子ずっと好きな相手がいたらしいんだけど、親に補助金目的で無理やりこの学園に入れられちゃったらしいのよ。無事に卒業して付属の大学に進めたら好きにしていいからって言われて」
瑚白「そういう子もいるんだ……?」
詩乃「うん。それで人狼の番にはなりたくないけれど、瑚白も危惧している通り内申点が大幅に下がっちゃうのが心配。どうしようかと悩んでいたらその先輩がその子を番にして、関係が深まる前にエンゲージをしてわざと失敗してくれたんだって」
瑚白「え? その人本当に人狼? 人狼って番を一途に愛するんだよね?」
詩乃「そうよ。だから異端の王子って呼ばれてるんじゃない――あっ」
ふと何かに気付いた詩乃は窓の外を指差す。
詩乃「ほら。噂をすれば」
二階の教室から見下ろすように外を見ると、薄茶の柔らかそうなストレートの髪とエメラルドグリーンの目を持つイケメンが数人の女子生徒に絡みつかれながら歩いていた。
詩乃「一途に番を愛する人狼の中で頻繁に番を変える異端の王子こと神矢紅牙先輩」
窓の外から瑚白に視線を戻す詩乃。
詩乃「ね、あの人に頼んでみたら? 内申点稼ぎのために番にして欲しいって」
瑚白「言えるかぁ!」
勢いよく立ち上がりながら叫ぶ瑚白。
瑚白「いくら番をとっかえひっかえしている人でもそんな理由で番にしてくれるわけないでしょう⁉」
詩乃「あはは、そりゃそうか」
誤魔化すように笑って頭を搔く詩乃。
そんな詩乃を呼ぶ声が教室のドアの方から聞こえた。
満「詩乃。待たせたな、行くぞ」
黒髪に青い目の男子が詩乃に呼び掛ける。
詩乃「あ、今行くー」
瑚白「何? 今日は彼氏と約束してたの?」
詩乃「うん、部屋のインテリアで買い足したいものがあってね、一緒に買い物に行く約束してたんだ。また明日ね、瑚白」
瑚白「うん、じゃあね」
手を振る詩乃に同じく手を振って返しながら、瑚白は物思いに耽る。
瑚白(そうだ。人狼と番になったら同じ部屋で過ごさなきゃならないんだよね)
<詩乃は去年の終わりころまでは私と同じ女子寮にいた。でも、三学期に入ってから隣のクラスの水谷満くんに告白されて番関係になった>
<番になったら相手の人狼の部屋に一緒に住むことになっているから、今詩乃は満くんの部屋で寝泊まりしている>
瑚白(それも、番になりたくない理由の一つなんだよね……)
そっと左肩に手を添えて、瑚白は悲しそうな顔をした。
〇後日、学校の会議室(実行委員会議)
会議室のホワイトボードの前に立った実行委員長が他の皆に声を掛ける。
実行委員長「さ、これで総務は決まったので次はそれぞれ班を決めていこう」
瑚白(班、どこにしようかな? 勉強する時間も欲しいからあまり時間取られるのは困るなぁ……)
テーブルに肘をついて軽く悩む瑚白。
そこに実行委員長から追加の言葉があった。
実行委員長「分かってると思うけど、番持ちじゃない男子と番になったことのない女子は強制的にペアだからなー?」
瑚白「⁉」
言葉が出ないほどに驚く瑚白。
〇人の少なくなった学校の会議室(作業中)
瑚白(……知らなかった)
<ここは人狼の番を探すための学園だから、イベントや授業のやり方で男女のペアを組むよう仕向けられることが多い>
<でも実行委員とかの仕事でもこういう風に番を見つけられるよう配慮されるとは>
瑚白(しかも、ペアになったのがよりにもよってこの人なんて……)
手元の書類を見ていた瑚白はちらりと視線を上げて向かい側に座り同じく自分の書類を見ていた紅牙を見た。
まつ毛が長く、薄茶の髪はサラサラで肌も綺麗な王子と呼ばれるのも納得なイケメンだ。
瑚白(学年も違うのに何でこの人になっちゃうかな?)
〇回想(少し前の出来事)
同クラス男子「あー、俺番いるから朱河とはペアなれないや」
一緒に実行委員になったクラスの男子の言葉。
三年の女子がそれを聞きつけ、提案される。
三年女子「ん? その子番になったことないの? だったら彼とペアになってくれない? で、一緒に広報班になりましょ!」
同クラス男子「え? 良いんすか? ありがとうございます」
瑚白「え? ちょっと」
三年女子「じゃあ決定ね」
(回想終了)
瑚白(てなわけで口をはさむ隙もなく決まっちゃったし……)
ふう、と思わずため息を吐くと紅牙の視線がフッと上がって目が合う。
瑚白「っ⁉」
思わずドキリとする瑚白。
紅牙「えーっと、朱河さん? いいかな?」
瑚白「あ、は、はい!」
紅牙「去年の書類を見た限りやるべきことは大体同じでいいと思うんだけど――」
そのまま仕事に関して話す紅牙。
瑚白(そうだった。他の二人はアンケート用紙コピーしてくるって言って、私たちはやるべきことを書き出しておいてと頼まれたんだった)
紅牙「――で、どうかな?」
瑚白「はい、良いと思います」
紅牙「じゃあ、二人が戻ってきたら今日はとりあえず終わりだな」
瑚白「そうですね」
書類を片して二人を待つ瑚白と紅牙。
無言になって何となく気まずそうな雰囲気。
瑚白(ペアにされたけど、少しは仲良くした方がいいのかな? 誰とも番になる気は無いって態度だと内申点マイナスされそうだし……)
チラッと瑚白は紅牙の横顔を見た。
二人が戻ってくるのを待つように、ひじを立て顎を乗せた顔をドアに向けている。
瑚白(鼻も高めで形良いな……じゃなくて、何か話題を――)
紅牙「……あのさ、少し突っ込んだこと聞いても良いかな?」
瑚白「え⁉ は、はい」
瑚白の方に顔を向ける紅牙。
少し意地悪そうに微笑んでいる。
紅牙「朱河さん、二年の今頃になっても誰かの番になってないのはどうしてかな? 君くらい可愛い子なら好きだって言いよる人狼は沢山いそうだけど?」
瑚白「……」
瑚白(本当に突っ込んできたわね⁉)
頬を引きつらせつつも笑顔で返す瑚白。
瑚白「確かに何人かには告白されましたけど……でも私が相手を好きじゃないのに番になってもどうせエンゲージで失敗するに決まってます。それで気まずくなったり、多少はほだされて辛くなるかもしれないじゃないですか」
紅牙の目を真っ直ぐ見て続きをハッキリ口にする。
瑚白「そうして自主退学したくなったら困るので!」
軽く目を見張る紅牙。
その顔がフッと妖しさを伴う笑みに変わる。
紅牙「……じゃあさ」
紅牙の手が伸びて瑚白の髪をひと房すくい取る。
紅牙「俺の番になってみる?」
瑚白「っ⁉」
紅牙「俺なら自主退学したいと思わない様にエンゲージ失敗させてあげられるよ?」
笑みを深め瑚白の髪を弄ぶ。
紅牙「実行委員になったのも内申点気にしてるからなんだろ? 一度誰かの番になった方が付属の大学に進学するには安心なんじゃないか?」
瑚白「っ⁉」
瑚白(見透かされてる⁉)
言い当てられ言葉を詰まらせる瑚白。
紅牙「ああ、でも忘れないで欲しいのは――」
紅牙は髪を離し、瑚白の頬に指先で触れる。
紅牙「人狼は番になった子を一途に愛するってこと。俺もそれは例外じゃない」
瑚白(こっこの人、やっぱり……)
紅牙「まあ、ある程度は抑えるけど……ほだされない自信はある?」
軽く首を傾げた紅牙の髪がサラリと揺れた。
瑚白(根っからのプレイボーイだ!!)
ガタン! と椅子を鳴らして瑚白は勢いよく立ち上がる。
驚いた表情の紅牙。
瑚白「……神矢先輩のお誘いは大変魅力的ですが」
うつむき、皮肉交じりのトゲトゲした声。
顔を上げると瑚白は紅牙をキッと睨みつけた。
瑚白「内申点の為だけに番になるとか……そんな不誠実なこと出来ません!」
叫ぶと、そのまま逃げるように会議室を飛び出す瑚白。
瑚白(詩乃には頼んでみたらと言われたし、本人にも誘われたけど……)
瑚白は走りながら心の中で叫ぶ。
瑚白(不誠実だっていうのもそうだけど……何より、あんな男の番になってたまるかーーー!)
〇会議室
いきなり出て行った瑚白に残っていた人達が少し驚いている。
取り残された紅牙はポカンと瑚白が出て行ったドアを見つめていた。
その顔がフッと自嘲の笑みを作る。
紅牙「……不誠実、か」
紅牙(確かに、その通りかもな……でも)
自嘲の笑みが楽し気なものに変わる。
紅牙「朱河瑚白……可愛いし、面白い子だな……気に入ったよ」
〇後日、教室(放課後)
瑚白は机に突っ伏していた。
瑚白「うー……行きたくない」
詩乃「内申点気にしてるならずる休みは無しでしょ? 頑張って行っておいで、実行委員さん」
瑚白、顔だけを上げ恨めし気に近くにいる詩乃を見上げる。
瑚白「他人事だと思って……」
詩乃「実際他人事だもーん」
瑚白「友達がいのないやつめ」
<今日は文化祭実行委員の集まりがある。テーマやテーマカラーのアンケートが集まったから、その集計をしなきゃならない>
瑚白(でも、こないだ啖呵を切ってから神矢先輩を避けまくっちゃってたからなぁ……顔合わせづらい)
詩乃「ほら、諦めて行きな? 男子の実行委員はもう行っちゃったよ?」
瑚白「え⁉ そんな薄情な⁉」
詩乃「瑚白がそうしてグダグダしてるからでしょ?」
自業自得だと瑚白の肩をつつく詩乃。
そんな二人に男子が一人近付いてきた。
男子「なあ、朱河。悪いけどちょっと時間良いか?」
瑚白「え? あー……うん」
机から体を起こしその男子を見る。
少し頬を赤く染めている様子に瑚白と詩乃はピンときた。
瑚白(確か、隣のクラスの……工藤くんだったかな? 下の名前までは知らないけれど)
詩乃「あらら。仕方ないね、実行委員の人が来たら知らせとくから、行っておいで」
瑚白「うん……お願いね、詩乃」
立ち上がった瑚白は工藤に付いて行った。
<明らかに告白されるだろうという状況。何度か体験してるし、勘違いってことはないと思う>
<普通なら今から実行委員があると言って断れそうなものだけど、ここは人狼が番を探すための学園。そのための告白は何よりも優先されるべきことなんだ>
瑚白(たとえ断るとしても人狼である男子が告白するのを邪魔しちゃダメなんだよね……)
〇学校の裏庭
瑚白「……それで、話って?」
促された工藤は片手で後頭部を掻きながら口を開く。
工藤「ああ、その……俺、朱河が好きなんだ。俺の番になってくれないか?」
瑚白は一度目を伏せ、申し訳なさそうに微笑む。
瑚白「ごめんなさい」
工藤「っ!」
瑚白「あなたの番にはなれません」
瑚白(何度も言ってるお断りの言葉だけど、やっぱり慣れないな。……真剣な告白を断るのは心が重くなる。でも、好きでもないのに番になる方が失礼だよね……)
工藤の目を見れずに下を見る瑚白。
工藤もうつむき、小刻みに震え出した。
工藤「……もしかして、三年の異端の王子の番になるのか?」
瑚白「え? ならないよ? 何言っているの?」
工藤「でも、文化祭実行委員でペアになったって」
瑚白「そうだけど、でもだからって番になるとは……」
瑚白の言葉に顔を上げた工藤。
同時に頭に髪と同じ色の毛を持つ狼の耳が現れた。
瑚白「っ⁉」
<人狼の特徴。気持ちが昂って興奮すると狼の耳が出てくるんだ>
瑚白(え? 工藤くん、興奮してるの?)
工藤「違うならさ、俺の番になってくれよ! 大事にするから! 朱河に好きになってもらえるように努力するから!」
狼の耳を出したまま近付いて来る工藤から逃げる様後退りする瑚白。
瑚白「ちょっと、工藤くん? 落ち着いて?」
工藤「悪い、落ち着けない。俺はどうしても朱河が良いんだ。異端の王子なんかにかっさらわれるくらいなら――」
瑚白「ちょっ、やめて!」
工藤の腕が伸び、捕まりそうになる瑚白。
でもその前に腕を後ろに引かれ紅牙に後ろから抱き締められた。
工藤「あ、あんたは……⁉」
紅牙「あーあ。困ったことになってるみたいだね?」
瑚白「神矢せんぱ――」
紅牙「こいつの番になったら、君が危惧していた通りになると思うけど?」
瑚白「そうかもしれないですけど。てかまず離してください!」
暴れる瑚白。
逃がさない様に更にギュッと抱きしめる紅牙。
紅牙「嫌だ。そいつの言葉じゃないけれど、他の男の番になるくらいなら俺にしておけよ」
興奮したのか狼の耳が出てくる紅牙。
瑚白「ちょっ! 何を⁉」
紅牙「じっとしてろよ」
そのまま紅牙は瑚白のうなじを甘噛みする。
瑚白「っ!」
瑚白(これって、番にするためのマーキング⁉)
息を呑み紅牙から離れた瑚白。
うなじを片手で押さえながら顔を真っ赤にして紅牙を睨む。
相対した紅牙は唇を舐めて満足そうに笑った。
紅牙「これで君は俺の番だ。俺にドロドロに愛される覚悟、決めておけよ?」
【一話 狼と番と羊たち END】
ひと気の少ない裏庭で狼の耳を出した状態の神矢紅牙が朱河瑚白を後ろから抱き締めている。
瑚白「ちょっ! 何を⁉」
紅牙「じっとしてろよ」
そのまま瑚白のうなじを甘噛みする紅牙。
瑚白「っ!」
息を呑み紅牙から離れた瑚白。
うなじを片手で押さえながら顔を真っ赤にして紅牙を睨む。
相対した紅牙は唇を舐めて満足そうに笑った。
紅牙「これで君は俺の番だ」
瑚白(どうして……)
紅牙「俺にドロドロに愛される覚悟、決めておけよ?」
瑚白(どうしてこうなったー⁉)
〇時は遡り二年の教室(HR中)
担任の男の先生が両手を教壇に乗せてニヤリと笑う。
先生「夏休み気分が抜けないかもしれないが、まずは早々に文化祭実行委員を決めなきゃならん! 誰か立候補はいるか?」
男子「えー? めんどくせー」
女子「文化祭は楽しみでも、実行委員はねー」
皆が嫌がっている雰囲気の中、瑚白は勢いよく右手をピンと真っ直ぐ上げて立ち上がった。
瑚白「はい! 私実行委員やります!」
〇教室(放課後)
詩乃「ホントもの好きだね、瑚白って。面倒な実行委員に自分から立候補するなんて」
学生鞄にノートなどを入れ帰る準備をしている瑚白に、親友の相良詩乃が呆れた様子で言う。
瑚白「だって、少しでも内申点上げたかったんだもん」
詩乃「内申点上げたければさっさと誰かと番関係になればいいじゃない。ここはそのための学園なんだし」
瑚白「……」
詩乃の言葉に不満顔になる瑚白。
<この花森学園は希少種である人狼の花嫁――通称番を探すための学園だ>
<学園に通う男子は皆人狼で、その番となるよう全国から人間の女子生徒を多く募集している>
<だからこの学園に入学した女子生徒は人狼と番関係になることが推奨されているのだけど――>
瑚白「でも本当の番になるためのエンゲージで失敗するともう番になれないでしょ?」
<何でも、ただ番になっただけでは人狼と結婚出来ないらしい。詳細は明かされていないエンゲージという儀式を成功させることで正真正銘の番になれるんだとか>
瑚白「失敗して好きになった人と一緒にいられないならって自主退学する子が多いでしょ? 私、それだけは絶対に避けたいから!」
詩乃「はいはい、それは何度も聞いたよ」
そのまま詩乃は身振りを加えて続きを解説するように話す。
詩乃「『朝昼晩食事付きの寮も学費も全額免除! その上最高の教育を受けられると銘打つ学園! 付属の大学にも優先的に入ることが出来て、貧乏な私が大学に進学して将来安泰な職に就くためにはこの学園しかなかったの!』でしょ?」
瑚白「そうだよ。だから番にはなりたくないの」
詩乃「でも必ずしも退学しなきゃいけないわけじゃないし、実際に残って卒業している女子生徒だっているじゃない」
瑚白「そりゃ、そうだけど……」
詩乃「んーじゃあ……そうだ!」
渋る瑚白に詩乃は人差し指を立て何かを思いつくと、内緒話しをする様に口元に手を添え顔を近付けてくる。
詩乃「初めからエンゲージ失敗目的で番にしてもらえば?」
瑚白「は? そんな事出来るわけ無いでしょ? 人狼はみんな花嫁になる番を探してるんだよ? そんな無駄な事してくれる人なんて――」
詩乃「それがいるんだって! ほら、三年に異端の王子って呼ばれてる先輩がいるでしょう? この前まで番関係だった一年の子の話聞いた?」
瑚白は興味ないとばかりに鞄の口を閉じ眉を寄せる。
瑚白「知らないよ。興味ないし」
詩乃「まあ聞きなって。何でもその子ずっと好きな相手がいたらしいんだけど、親に補助金目的で無理やりこの学園に入れられちゃったらしいのよ。無事に卒業して付属の大学に進めたら好きにしていいからって言われて」
瑚白「そういう子もいるんだ……?」
詩乃「うん。それで人狼の番にはなりたくないけれど、瑚白も危惧している通り内申点が大幅に下がっちゃうのが心配。どうしようかと悩んでいたらその先輩がその子を番にして、関係が深まる前にエンゲージをしてわざと失敗してくれたんだって」
瑚白「え? その人本当に人狼? 人狼って番を一途に愛するんだよね?」
詩乃「そうよ。だから異端の王子って呼ばれてるんじゃない――あっ」
ふと何かに気付いた詩乃は窓の外を指差す。
詩乃「ほら。噂をすれば」
二階の教室から見下ろすように外を見ると、薄茶の柔らかそうなストレートの髪とエメラルドグリーンの目を持つイケメンが数人の女子生徒に絡みつかれながら歩いていた。
詩乃「一途に番を愛する人狼の中で頻繁に番を変える異端の王子こと神矢紅牙先輩」
窓の外から瑚白に視線を戻す詩乃。
詩乃「ね、あの人に頼んでみたら? 内申点稼ぎのために番にして欲しいって」
瑚白「言えるかぁ!」
勢いよく立ち上がりながら叫ぶ瑚白。
瑚白「いくら番をとっかえひっかえしている人でもそんな理由で番にしてくれるわけないでしょう⁉」
詩乃「あはは、そりゃそうか」
誤魔化すように笑って頭を搔く詩乃。
そんな詩乃を呼ぶ声が教室のドアの方から聞こえた。
満「詩乃。待たせたな、行くぞ」
黒髪に青い目の男子が詩乃に呼び掛ける。
詩乃「あ、今行くー」
瑚白「何? 今日は彼氏と約束してたの?」
詩乃「うん、部屋のインテリアで買い足したいものがあってね、一緒に買い物に行く約束してたんだ。また明日ね、瑚白」
瑚白「うん、じゃあね」
手を振る詩乃に同じく手を振って返しながら、瑚白は物思いに耽る。
瑚白(そうだ。人狼と番になったら同じ部屋で過ごさなきゃならないんだよね)
<詩乃は去年の終わりころまでは私と同じ女子寮にいた。でも、三学期に入ってから隣のクラスの水谷満くんに告白されて番関係になった>
<番になったら相手の人狼の部屋に一緒に住むことになっているから、今詩乃は満くんの部屋で寝泊まりしている>
瑚白(それも、番になりたくない理由の一つなんだよね……)
そっと左肩に手を添えて、瑚白は悲しそうな顔をした。
〇後日、学校の会議室(実行委員会議)
会議室のホワイトボードの前に立った実行委員長が他の皆に声を掛ける。
実行委員長「さ、これで総務は決まったので次はそれぞれ班を決めていこう」
瑚白(班、どこにしようかな? 勉強する時間も欲しいからあまり時間取られるのは困るなぁ……)
テーブルに肘をついて軽く悩む瑚白。
そこに実行委員長から追加の言葉があった。
実行委員長「分かってると思うけど、番持ちじゃない男子と番になったことのない女子は強制的にペアだからなー?」
瑚白「⁉」
言葉が出ないほどに驚く瑚白。
〇人の少なくなった学校の会議室(作業中)
瑚白(……知らなかった)
<ここは人狼の番を探すための学園だから、イベントや授業のやり方で男女のペアを組むよう仕向けられることが多い>
<でも実行委員とかの仕事でもこういう風に番を見つけられるよう配慮されるとは>
瑚白(しかも、ペアになったのがよりにもよってこの人なんて……)
手元の書類を見ていた瑚白はちらりと視線を上げて向かい側に座り同じく自分の書類を見ていた紅牙を見た。
まつ毛が長く、薄茶の髪はサラサラで肌も綺麗な王子と呼ばれるのも納得なイケメンだ。
瑚白(学年も違うのに何でこの人になっちゃうかな?)
〇回想(少し前の出来事)
同クラス男子「あー、俺番いるから朱河とはペアなれないや」
一緒に実行委員になったクラスの男子の言葉。
三年の女子がそれを聞きつけ、提案される。
三年女子「ん? その子番になったことないの? だったら彼とペアになってくれない? で、一緒に広報班になりましょ!」
同クラス男子「え? 良いんすか? ありがとうございます」
瑚白「え? ちょっと」
三年女子「じゃあ決定ね」
(回想終了)
瑚白(てなわけで口をはさむ隙もなく決まっちゃったし……)
ふう、と思わずため息を吐くと紅牙の視線がフッと上がって目が合う。
瑚白「っ⁉」
思わずドキリとする瑚白。
紅牙「えーっと、朱河さん? いいかな?」
瑚白「あ、は、はい!」
紅牙「去年の書類を見た限りやるべきことは大体同じでいいと思うんだけど――」
そのまま仕事に関して話す紅牙。
瑚白(そうだった。他の二人はアンケート用紙コピーしてくるって言って、私たちはやるべきことを書き出しておいてと頼まれたんだった)
紅牙「――で、どうかな?」
瑚白「はい、良いと思います」
紅牙「じゃあ、二人が戻ってきたら今日はとりあえず終わりだな」
瑚白「そうですね」
書類を片して二人を待つ瑚白と紅牙。
無言になって何となく気まずそうな雰囲気。
瑚白(ペアにされたけど、少しは仲良くした方がいいのかな? 誰とも番になる気は無いって態度だと内申点マイナスされそうだし……)
チラッと瑚白は紅牙の横顔を見た。
二人が戻ってくるのを待つように、ひじを立て顎を乗せた顔をドアに向けている。
瑚白(鼻も高めで形良いな……じゃなくて、何か話題を――)
紅牙「……あのさ、少し突っ込んだこと聞いても良いかな?」
瑚白「え⁉ は、はい」
瑚白の方に顔を向ける紅牙。
少し意地悪そうに微笑んでいる。
紅牙「朱河さん、二年の今頃になっても誰かの番になってないのはどうしてかな? 君くらい可愛い子なら好きだって言いよる人狼は沢山いそうだけど?」
瑚白「……」
瑚白(本当に突っ込んできたわね⁉)
頬を引きつらせつつも笑顔で返す瑚白。
瑚白「確かに何人かには告白されましたけど……でも私が相手を好きじゃないのに番になってもどうせエンゲージで失敗するに決まってます。それで気まずくなったり、多少はほだされて辛くなるかもしれないじゃないですか」
紅牙の目を真っ直ぐ見て続きをハッキリ口にする。
瑚白「そうして自主退学したくなったら困るので!」
軽く目を見張る紅牙。
その顔がフッと妖しさを伴う笑みに変わる。
紅牙「……じゃあさ」
紅牙の手が伸びて瑚白の髪をひと房すくい取る。
紅牙「俺の番になってみる?」
瑚白「っ⁉」
紅牙「俺なら自主退学したいと思わない様にエンゲージ失敗させてあげられるよ?」
笑みを深め瑚白の髪を弄ぶ。
紅牙「実行委員になったのも内申点気にしてるからなんだろ? 一度誰かの番になった方が付属の大学に進学するには安心なんじゃないか?」
瑚白「っ⁉」
瑚白(見透かされてる⁉)
言い当てられ言葉を詰まらせる瑚白。
紅牙「ああ、でも忘れないで欲しいのは――」
紅牙は髪を離し、瑚白の頬に指先で触れる。
紅牙「人狼は番になった子を一途に愛するってこと。俺もそれは例外じゃない」
瑚白(こっこの人、やっぱり……)
紅牙「まあ、ある程度は抑えるけど……ほだされない自信はある?」
軽く首を傾げた紅牙の髪がサラリと揺れた。
瑚白(根っからのプレイボーイだ!!)
ガタン! と椅子を鳴らして瑚白は勢いよく立ち上がる。
驚いた表情の紅牙。
瑚白「……神矢先輩のお誘いは大変魅力的ですが」
うつむき、皮肉交じりのトゲトゲした声。
顔を上げると瑚白は紅牙をキッと睨みつけた。
瑚白「内申点の為だけに番になるとか……そんな不誠実なこと出来ません!」
叫ぶと、そのまま逃げるように会議室を飛び出す瑚白。
瑚白(詩乃には頼んでみたらと言われたし、本人にも誘われたけど……)
瑚白は走りながら心の中で叫ぶ。
瑚白(不誠実だっていうのもそうだけど……何より、あんな男の番になってたまるかーーー!)
〇会議室
いきなり出て行った瑚白に残っていた人達が少し驚いている。
取り残された紅牙はポカンと瑚白が出て行ったドアを見つめていた。
その顔がフッと自嘲の笑みを作る。
紅牙「……不誠実、か」
紅牙(確かに、その通りかもな……でも)
自嘲の笑みが楽し気なものに変わる。
紅牙「朱河瑚白……可愛いし、面白い子だな……気に入ったよ」
〇後日、教室(放課後)
瑚白は机に突っ伏していた。
瑚白「うー……行きたくない」
詩乃「内申点気にしてるならずる休みは無しでしょ? 頑張って行っておいで、実行委員さん」
瑚白、顔だけを上げ恨めし気に近くにいる詩乃を見上げる。
瑚白「他人事だと思って……」
詩乃「実際他人事だもーん」
瑚白「友達がいのないやつめ」
<今日は文化祭実行委員の集まりがある。テーマやテーマカラーのアンケートが集まったから、その集計をしなきゃならない>
瑚白(でも、こないだ啖呵を切ってから神矢先輩を避けまくっちゃってたからなぁ……顔合わせづらい)
詩乃「ほら、諦めて行きな? 男子の実行委員はもう行っちゃったよ?」
瑚白「え⁉ そんな薄情な⁉」
詩乃「瑚白がそうしてグダグダしてるからでしょ?」
自業自得だと瑚白の肩をつつく詩乃。
そんな二人に男子が一人近付いてきた。
男子「なあ、朱河。悪いけどちょっと時間良いか?」
瑚白「え? あー……うん」
机から体を起こしその男子を見る。
少し頬を赤く染めている様子に瑚白と詩乃はピンときた。
瑚白(確か、隣のクラスの……工藤くんだったかな? 下の名前までは知らないけれど)
詩乃「あらら。仕方ないね、実行委員の人が来たら知らせとくから、行っておいで」
瑚白「うん……お願いね、詩乃」
立ち上がった瑚白は工藤に付いて行った。
<明らかに告白されるだろうという状況。何度か体験してるし、勘違いってことはないと思う>
<普通なら今から実行委員があると言って断れそうなものだけど、ここは人狼が番を探すための学園。そのための告白は何よりも優先されるべきことなんだ>
瑚白(たとえ断るとしても人狼である男子が告白するのを邪魔しちゃダメなんだよね……)
〇学校の裏庭
瑚白「……それで、話って?」
促された工藤は片手で後頭部を掻きながら口を開く。
工藤「ああ、その……俺、朱河が好きなんだ。俺の番になってくれないか?」
瑚白は一度目を伏せ、申し訳なさそうに微笑む。
瑚白「ごめんなさい」
工藤「っ!」
瑚白「あなたの番にはなれません」
瑚白(何度も言ってるお断りの言葉だけど、やっぱり慣れないな。……真剣な告白を断るのは心が重くなる。でも、好きでもないのに番になる方が失礼だよね……)
工藤の目を見れずに下を見る瑚白。
工藤もうつむき、小刻みに震え出した。
工藤「……もしかして、三年の異端の王子の番になるのか?」
瑚白「え? ならないよ? 何言っているの?」
工藤「でも、文化祭実行委員でペアになったって」
瑚白「そうだけど、でもだからって番になるとは……」
瑚白の言葉に顔を上げた工藤。
同時に頭に髪と同じ色の毛を持つ狼の耳が現れた。
瑚白「っ⁉」
<人狼の特徴。気持ちが昂って興奮すると狼の耳が出てくるんだ>
瑚白(え? 工藤くん、興奮してるの?)
工藤「違うならさ、俺の番になってくれよ! 大事にするから! 朱河に好きになってもらえるように努力するから!」
狼の耳を出したまま近付いて来る工藤から逃げる様後退りする瑚白。
瑚白「ちょっと、工藤くん? 落ち着いて?」
工藤「悪い、落ち着けない。俺はどうしても朱河が良いんだ。異端の王子なんかにかっさらわれるくらいなら――」
瑚白「ちょっ、やめて!」
工藤の腕が伸び、捕まりそうになる瑚白。
でもその前に腕を後ろに引かれ紅牙に後ろから抱き締められた。
工藤「あ、あんたは……⁉」
紅牙「あーあ。困ったことになってるみたいだね?」
瑚白「神矢せんぱ――」
紅牙「こいつの番になったら、君が危惧していた通りになると思うけど?」
瑚白「そうかもしれないですけど。てかまず離してください!」
暴れる瑚白。
逃がさない様に更にギュッと抱きしめる紅牙。
紅牙「嫌だ。そいつの言葉じゃないけれど、他の男の番になるくらいなら俺にしておけよ」
興奮したのか狼の耳が出てくる紅牙。
瑚白「ちょっ! 何を⁉」
紅牙「じっとしてろよ」
そのまま紅牙は瑚白のうなじを甘噛みする。
瑚白「っ!」
瑚白(これって、番にするためのマーキング⁉)
息を呑み紅牙から離れた瑚白。
うなじを片手で押さえながら顔を真っ赤にして紅牙を睨む。
相対した紅牙は唇を舐めて満足そうに笑った。
紅牙「これで君は俺の番だ。俺にドロドロに愛される覚悟、決めておけよ?」
【一話 狼と番と羊たち END】