大きな音がした。

 ガラスが砕け散るような、そんな音にきこえたけれど……。

 しまったわ。眠ってしまっていたのね。

 うつぶせの状態で、本は開いたままになっている。

 そのすぐ後、床を踏みしめるようなそんな音がしはじめた。

 すぐに覚醒した。

「ギシッ」、「ミシッ」、床を踏みしめる音が近づいてくる。

 しまった。

 自分の愚かさを呪った。呪うだけでなく、すぐ行動に移していた。

 ロウソクに息を吹きかけ、灯りを消した。

 地下室の扉の隙間から、灯りが漏れていたに違いない。地下室へと続く階段といっても、十段ほど。灯りは、一階に充分届いてしまう。

 ということは、いま近づいてきている床を踏みしめる音は、漏れ出ていた灯りに気がついて向かってきている。

 そして、最初の大きな音は窓ガラスを割った音に違いない。ということは、確実にレイじゃない。それから、エドでもない。

 彼らなら、窓ガラスを割る必要はない。鍵の隠し場所を知っているのだから。

 ということは、侵入者は王太子の手の者ということになる。ついに、この屋敷を見つけたわけね。

 って、冷静に推測している場合じゃない。

 灯りを消した後の暗がりに、だんだんと目が慣れてきた。

 だめだわ。侵入者がここに入ってきても、ここには隠れる場所がない。

 どうする、わたし?

 小説に出てくるヒロインみたいに、窮地を脱する方法をかんがえるのよ。頭の中に閃かせるのよ。

 ていうか、フツーはそんなにすぐいい考えがでてくるわけないわよね?

「ガチャガチャ」

 地下室の扉のノブを回す音がしはじめた。

 それでもなお、冷静でいられる自分が不思議でならない。

 が、唐突にノブを回す音がやんだ。しばらくシンとしていたけど、今度は「ガンガン」とさらに大きく激しい音がしはじめた。

 何かを持って来てノブをぶっ叩いている、そんな激しい音。

 力技に出たのね。

 時間がない。

 よりいっそう冷静になってゆく。

 そしてついに、地下室の扉が開いた。

 窓ガラスの割れる音がしてから、ものの数分。あっという間だった。

 暗がりの中、黒い影が地下室に入ってきた。

 階上の廊下や地下室への階段の方が、じゃっかん明るいかもしれない。

 黒い影は、地下室に足を二歩踏み入れたところで立ち止まった。

 目を暗闇に慣らしていることは間違いない。

 その背を、息を潜めて見つめている。

 室内が異臭に満たされた。

 このにおいは……。

 地下室の扉のすぐ横に佇み、(それ)が開いたままの入り口から駆けだすタイミングを計っている。

 間違いないわ。このにおいは、肥料のにおい。

 息をするのもはばかられる状態だけど、肥料の強烈な臭気は容赦なく鼻腔に侵入してくる。

 ダメ。息がもたない。

 ほんとうは、侵入者の目が慣れるまでに地下室からこっそり出たかった。

 これ以上はムリ。

 音を立てず、ジリジリと扉へとずれてゆく。

 そして、右足が扉の沓摺にさしかかった瞬間、侵入者に背を向け駆けだそうとした。

 階段を駆け上るのよ。

 頭の中で指令が飛ぶ。

 足がすぐに反応をし、左足が一番下の段を踏みしめた。さらに右足がそのすぐ上の段を踏みしめようとして……。

 その瞬間、うしろから左手首をつかまれた。そう認識したときには、地下室へと引きずり込まれていた。そして、床に叩きつけられた。

 耳に甲高い悲鳴が飛び込んできた。

 自分自身の悲鳴である。

 背中から力いっぱい叩きつけられた拍子に、肺に溜まっている空気が口から吐き出されてしまった。

 苦しい、なんて思う暇もない。

 黒い影がのしかかってきて、苦しいというよりかは強烈な痛みにとってかわられた。

 さらなる臭気に襲われる。

 臭気も痛みも耐えがたい。

 お腹の上に馬乗りになられた。左腕は床に押し付けられ、口は右手でふさがれている。

 その手もまた、強烈な臭気を発している。それもあって息が出来ない。

 声を出しているがうめき声にしかならない。両足をばたつかせ、右の拳でところかまわず殴り続ける。

「おとなしくしろ」

 押し殺した声での警告は、ぞっとするほど冷たい響きがあった。

「なぜだ?なぜあいつをかばう?おとなしくおれの側にいれば、こんな目に遭わずにすんだんだ」

 バカなことを言わないで。

 そう言い返したいけど、口をふさがれていてはムリである。うめき声だけが、床に落ちていく。

 王太子(こいつ)、何を言い出すの?何を言っているの?

 声での抗議のかわりに、おもいっきり睨みつけてやった。それから、右の拳で彼の腕とか脇腹とか、とにかく手の届く範囲を殴り続けた。