「世界ぜんたい?」

「宮沢賢治が生前に残した言葉」

「へえ、そうなんだ」


どうやらわたしが図書室で漁っていた文献のなかにその一文があったらしい。

わたしは読み飛ばしていたけれど、後ろから覗いていたノアはちゃんと覚えていたんだとか。



「じゃあやっぱり、賢治の考えるほんとうのさいわいは世界平和だね。忘れないうちに書いておこう」

「俺は必ずしもそうとは思わねえけど」


一陣の風がふわりとカーテンを揺らした。

その向こうにいるノアが一瞬、輪郭がぼやけて見えた。

だけどわたしの気のせいだったようで、ノアはちゃんとそこにいる。



「ほら、ノアも納得いってない」

「……」

「じゃあノアにとっての“ほんとうのさいわい”はなに?」

「お前にとっての“ほんとうのさいわい”は?」

「だから質問を質問で返してこないでってば」


わたしはむっと唇をとがらせて、そのまま宙を仰ぐ。

首をひねりすぎて危うくつってしまいそうになった。



「……わからない」


平和でいること、誰かに好かれること、誰かにとって一番の存在であること。

考えたらいっぱい出てくるけれど、そのどれもが偽りのように思えてならない。

それに、わたしの“ほんとうのさいわい”はもう、ないんだと思う。


一生、叶うことはないんだ。