(良かれと思ってのことなのだろうけれど……お節介よ)
 包丁を置いた志津は、
 「有難うございます。さあ、もう間も無くご飯が出来ますから、向こうでお待ちになっていてください」
 と幸枝を台所から出した。
 独活(うど)を切りながら、志津は考える。
 確かに家ではずっと父と二人で、仕事場にも父がいる。
 毎日家と隣の病院を行き来するだけで、診療時間には受付や調剤といった仕事に忙殺される。
 慌ただしく仕事をしていると終業時間が来て家に帰り今日のように家事をする。
 (伊坂さん……恐ろしい方ね)
 志津が思うに、幸枝は彼女すら気が付いていなかった日々の辛さや寂しさを見抜いていた。
 物心付いた時には既に母は居なかった。
 高田志津という人間が存在している以上、父の他に母が在ったことは明白である。
 しかし、その母という人間がどのような人物であるかは、遠く雲隠れしているのである。
 父は時々、母のことを振り返って話してくれる。それは、夫から見た彼女の姿に過ぎない。
 母としての彼女の存在は誰一人知ることのない。母になって間も無く死んでいった彼女の人生は、もうその時点から紡がれていないからだ。
 父と病院の看護婦に助けられ成長し、女学校や女子大学校にまで進んで薬学を勉強したからこそ、今こうして薬剤師兼事務員として家業の一端を担っているが、志津にはまだ叶っていないことがある。
 (康弘さん……今日も元気にしていらっしゃるかしら)
 志津には許嫁がいる。内科医の彼は後々父の後を継ぐ筈であったが、個人で医院を開業した翌年に召集されたり本業が忙しかったりと、会うことも滅多にない。
 (戦争が終わって、早く康弘さんに会えたら良いのに……そんなことを考えても戦争は終わりはしないけれど)
 長い時間をかけて炊き終わった飯物を茶碗に盛った志津は、表情を引き締めて居間へと料理を運び始めた。