「此方です」
 女性は診察室を後にする。
 「いやあ、窮屈な部屋で恐縮ですなあ……さあ、ここにお掛けになって下さい」
 「どうも」
 診察室の奥には看護婦が二人居たようであったが、幸枝が掛けると静かに診察室を出て行った。
 (しゃが)れた老年の院長が眼鏡を片手に薄目で診察簿を見ている。
 「ええと……伊坂義雄さんだね。貴女は……」
 「妹の幸枝と申します。兄に何があったのでしょうか……特に病気はしておりませんでしたが」
 院長は長年の経験からか、やたらと落ち着いている。
 「そう心配なさる必要はない。あれはな……疲労ですよ」
 「疲労、ですか……」
 「ああ、疲労困憊と云うでしょう、その疲労ですな。まあ、働き盛りの年齢でなおこの情勢……御社も多忙極まりないでしょう」
 院長は名刺を一つ見た瞬間、自分の診察した人物がどのような人物であったかすぐに分かった。
 (歳を取っても頭は切れるって訳ね)
 幸枝も院長の言わんとするところは容易に理解できた。
 「兄のこと……ご存知なのですね」
 「当院は見ての通り個人経営の小さな病院ですが……一晩でも十分に休めば少しは回復に向かいますから、その間は我々の最善を尽くしますよ」
 「……ええ、お願いしますわ」
 診察簿を閉じた院長は幸枝に退席を促した。
 「今後の処置は明朝までの経過を見てまたお知らせしましょう、では」
 診察室を出た幸枝は受付に戻った。
 「お電話、拝借してもよろしいかしら」
 「どうぞ」
 電話口からは、少し気の張ったような父の声が聴こえてくる。