「さて、一仕事終えたし戻るとするか」
 車道を見回して車の往来が無いかを確かめた津田は、早足で停留場へと戻った。
 「君はこれからどうするんだい」
 「本社に戻ります」
 「そうか」
 横に並んで市電を待つ二人であったが、背の高い津田と小柄な幸枝が隣り合うと、そこだけ凸凹(でこぼこ)になったような違和感のある列ができた。
 「あ!軍人さんだ!」
 幸枝の次に列に並んだのは、幼稚園生であろう男児と、彼に腕を引かれる母親であった。
 「コウちゃん、御迷惑になりますよ」
 男児は母の忠告はまるで聞こえていない様子で、幸枝の前を通り過ぎ津田の足元へ駆け寄った。
 「僕はね、大きくなったらすごい兵隊になって戦うんだ!大きな船や飛行機に乗るんだよ!」
 その場に腰を落としにっこりと笑った津田は男児の手を握り、
 「毎日元気に体を動かして懸命に勉強をすれば、きっと立派な軍人になれるさ」
 と言った。
 男児は大喜びで、きゃっきゃと喜びを全身で表すように跳ねている。
 (軍人も好かれるわね……ましてや尉官だもの。それにしてもこの愛想の良さがかえって不気味だわ)
 「……すみません、うちの子が」
 隣で申し訳なさそうにしているのは母親である。
 「いいえ、お子さんは元気なのが一番ですわ」
 少し混雑した市電が鐘の音を鳴らしやってくる。
 二人は車内に乗り込んで奥の方へと進んでいく。
 「本来は近くまでお送りするのが筋だろうが……悪いな」
 津田は幸枝の出自については全て上官から聞かされている。
 取引先である以前に業界では有名な令嬢であるがゆえに失礼のないように、それから危険な目に遭わせぬようにときつく言い付けられた。