──秋風の吹く日の昼。
 勝俊と春子がささやかな結納を済ませた二週間後に勝俊の出征の日が訪れた。
 彼と同じくして春子の周辺でも様々な人の出征の話が飛び交い、様々なところで壮行会があった。
 (遂に勝俊さんも()くのね、それから清義兄さんと、清士兄さんも……)
 松原家は成田家の二人の息子の壮行会に呼ばれたが、その場に清士の姿は無く、誰も彼の姿を見ることなしにお開きとなったのであった。
 そして昨日に壮行会を終え、今まさに家を出ようとする旦那を目前に、春子は玄関の隅に立っている。
 結納をした直後に二転三転し始めた情勢に飲まれ同居することもなく来た出征の日。
 勝俊と結婚してもなお実家で過ごした春子は、この日のために一人、義実家を訪ねたのであった。
 「怪我と病気をしないように」
 「元気で戻ってきなさい」
 春子はどこか明るい雰囲気の神藤家の玄関の中で、不思議な気持ちになる。
 普通は「どうかご無事で」とか「お国のために戦ってきなさい」とか、そういったことを言う筈だ。
 それに、こんなほんわかとした雰囲気で出征する人が他にいるだろうか。
 涙の一粒も流れなければ、万歳と言ってその場を盛り上げるようなこともない。
 ただ静かに、そこに軍人とその両親がいるだけなのである。
 それも、彼が軍楽隊に入ることが確定しているからなのだろうか。
 今では彼の言った言葉の意味が分かる。
 世間の目。大企業の嫡子(ちゃくし)として、世の中からどう見られるか。
 彼と同じ歳の学生が次々に戦地に送られる中で、彼は志願してでも征かなければならなかったのだ。
 仮に彼自身が望んでいなかったとしても……。