幸枝は、今回ばかりは余程慎重にやらねばならないのだろうと理解し、日比谷公園を後にした。長津の表情は普段よりも硬直していた。幸枝も同じで、敷地内にいる間は視線を下に落とし口を噤んでいた。
 「仕事」の後、幸枝はどことなく気の沈んだような、あるいは解放ゆえに気が緩んだか、とにかく力の入らないような気分がして、叔父の喫茶店へ出向いた。
 音ひとつ立たない静寂の純喫茶のカウンターで、叔父は今日も一人食器を磨いている。
 「いらっしゃい……ああ、幸枝ちゃんか」
 「叔父さん、紅茶を頂戴」
 雨上がりの曇り空の下では、この喫茶店もいっそう暗く静かに見え、ソーサーにティーカップを乗せる音がいやに大きく聞こえるような気がする。
 暫く紅茶を飲んでいると、客がやって来た。
 「いらっしゃいませ」
 カウンターの側から見えたのは、昨秋まさにこの場所、この席で紅茶を飲んだ女子大学校の学生であった。
 「幸枝さん、こんちは」
 「あら、春子ちゃんね。ここ、掛けなさいよ」
 偶然か必然か──、幸枝は春子の人物像に目星が付いていたこともあり、やはり良い印象は持てなかった。
 「ええ、どうも」
 春子は幸枝の真向かいに腰掛けた。
 「春子ちゃん、何飲むの?」
 「コーヒー……ってもう飲めないのかしら」
 人差し指を唇に当てて迷うような仕草を見せながら思案した結果がこれである。
 「そうね……少し厳しいかもしれないけれど、幸枝姉さんが叔父さんに訊いてきてあげても良いわよ」
 春子は「幸枝姉さん」に反応したのか、クスッと笑い、
 「ええ、お願いしますわ。幸枝姉さん」
 と冗談めかした返事をした。