幸枝は自身の仕事を、或いは家業を(けな)されたように感じて声を荒げた。
 煮え立つような思いの幸枝は、清士に背を向けて続ける。
 「私は家のために働いているの、伊坂の名前を守り大きくするためにね。確かに資金の流れは悪くはないし、多くの人を雇って職業を提供しているわ。それでも『無駄な命乞い』?作業中に大怪我をした工員も居れば、体調を崩して休養する人なんて幾らでも居るわよ?今はこういう情勢だから私達にも仕事が回ってくるけれど、何よ、この戦争が始まる迄は、私達も武器なんて作っていなかったのよ。武器を作って使われれば、その分だけ怪我をしたり亡くなったりする人が出る訳でしょう、会社は兎も角、私だって生きるべき人が死ぬのは厭よ。でも、今のように仕事をしなければ、伊坂の名前は消えていくし、もしかしたら汚されたかもしれない……少なくとも私はそう考えて家のために身を削って働いているの。知ったような口は利かないでいただけるかしら」
 スカートの裾を払った幸枝は、早足で公園を出て行った。
 滲む視界に苛立ちながら停留場の列に並ぶ。
 (勉強ばかりで碌に社会のことも知らない学生には言われたくなかったわ、たとえそれが成田さんでも……)
 バスの車窓から見える公園は人影も疎らで、もう間も無くやって来る夜の暗がりに包まれかけている。
 一方の清士は、未だ暗くなり始めた空を眺めていた。
 散々猶予されてきた学生の出兵が解かれるのもそう遠くないと思ってしまうのは、自分だけだろうか。
 悪い予感ほどよく当たる、と聞く。
 ひょっとすると、激戦の地に送られるかもしれない。
 そこで撃たれて死ぬかもしれない。
 そんな嫌な想像をしてしまう。
 「帝大だから」などという淡い期待を抱きもしたが、冷静に考えてみれば「帝大だからこそ」かもしれない。
 戦地に征くことは、内地で働くこととは大きく違う。何もかもが違う。
 空には一番星が光っている。
 (もう日も暮れたか……)
 蝉の声も静まり烏も寝床に帰った公園には、いよいよ人の影も見えなくなった。
 ただ川の静かなせせらぎが聞こえるのみである。