学生が一緒に居合わせた数人に尋ねると、廊下はざわつき始めた。
 「いらっしゃらないのかしら、お手間をお掛けしましたわね」
 上擦った声の幸枝は学生の波を()き分けるようにしてやっとの思いで廊下を抜けたが、そこで背後に何者かがいることに気がついた。
 振り返ると、目前にいるのはまた一人の学生である。
 「君か、僕を探しているというのは」
 明らかに愛想の無い口ぶりのその人は、貴重な休み時間を奪われているためであろうか不機嫌さが立ち姿から滲み出ている。
 幸枝は本来であれば自分も不機嫌にして見せるところだが、ここが取引の場であり自分の正体を悟られてはいけないことを思い出し、淑やかな態度でゆっくりと話し出した。
 「ええ、あなたは……」
 「尾田だ」
 (何よ、結局本名なのね)
 腹の底から徐々に上がってくるような嫌味を飲み込みつつ、幸枝は早急に「仕事」を終わらせようと封筒を差し出した。
 「伊坂義雄から、こちらを尾田様に差し上げるよう頼まれましたの」
 幸枝の手から引き抜くように封筒を手に取った尾田は、封を破いて中身を読み始める。
 尾田は一通り読み終えると周囲を見渡し幸枝の腕を引いて中庭へと向かった。
 突然腕を引っ張られた幸枝は体制を崩しながらも彼の後を付いて行く。
 (なんて無作法な人なの……陸経だからって傲るんじゃあないわよ!此処で私が伊坂幸枝だと言えばこの人も幾らかは違う振舞いをするだろうに……歯痒いものだわ)
 ここで良さそうだというように再び周囲を確認した尾田は中庭の端で立ち止まり、それまで掴んでいた幸枝の腕を離した。