「だから小林くん、レシピ本なんて読み始めたの?」
「ああ……まあ、正解……。よく見つけたね……」
「いや見つけるよ。カラフルな表紙がちょっと見えてるし。隠したいならもっと別の雑誌に紛れ込ませなきゃ。エロ本とかないの?」
「ないよ……。ていうか笹井さんの口からエロ本とか聞きたくないんだけど……」
「小林くんがまたわたしを美化してる」
「言うほど美化してないよ……たぶん……」

 美化はしていると思う。彼女は昔から誠実で優しい善人だった。
 けれど、彼女を神さまや仏さまのように見ているわけではないし、自分の理想を押しつけようとも思わない。ただ少し、この可愛い恋人の口から「エロ本」なんて単語を聞きたくないだけだ。会えない間に、僕が彼女ではない女性を見ていると思われたくないだけだ。


 そして僕は、その可愛い恋人のために料理を覚えようとしている。
 今まで料理と呼べるものは、とにかく肉やら野菜やらをフライパンにぶち込んだ肉野菜炒めしかできなかった。

 あまり美味くもできないから八割が買い食いか外食だったけれど、彼女はあまり外食をしないタイプで、色々な料理を作ってくれる。だけどそれじゃあ彼女の負担が大きすぎる。なら僕が料理を作ればいい、という安直な考えだった。
 まあ、どんなに頑張っても、彼女が作る手料理には敵わないのだろうなとは思うけれど……。


 そんな僕らは「初めての旅行を良いものにしたい」という気持ちが前のめりになり、一泊二日しかないというのにお互い暴走してしまって、沖縄や京都や広島、果てはイタリアやドイツまでが候補に挙がった。

 でも大量の旅行雑誌を買おうとしたところで冷静になり、県内の温泉ということで無事着地した。
 温泉なら、地元宮城県にもたくさんある。例えば仙台市内なら秋保温泉や作並温泉、ちょっと遠出するなら遠刈田温泉、日本三景を楽しむなら松島温泉、湯めぐりをするなら鳴子温泉郷……。

 僕の部屋で、先日引っ張り出したばかりのこたつに潜り込んで、彼女は数ある温泉地のページを楽しそうに眺めている。僕も隣に寝そべって、同じページを見下ろした。

 この距離だと、彼女の髪の柔らかい香りが、常に僕の鼻腔をくすぐる。その髪に顔を押しつけて、このまま抱きつぶしてしまいたくなる衝動を必死に堪えた。旅行までもうすぐだ。少しずつでも話を進めなければ。

「メインは温泉だけど、他にやりたいことある? それで目的地を決めよう」と、彼女は持参したメモ帳にあれこれ書き出して行く。仕事で使っているメモ帳なのか、隣のページには「発注期日」だとか「値段変更」だとかあれこれ書き込んであるけれど……良いのだろうか。

 そういえば高校時代、彼女は4Bの鉛筆を使い、スケッチブックにあらゆることをメモしていた。ぱっと、ざっと書きたいときに便利だったらしいが、大人になっても一冊のメモ帳にあらゆることを書くという習慣は変わっていないらしい。


「松島で遊覧船に乗るとか」
「瑞巌寺とか、伊達政宗の歴史館とか」
「歴史巡りするなら、青葉城も行かないと」
「青葉城行くなら白石城も行かなきゃ」
「あれ、小林くん意外に歴史好き?」
「俺わりと好きだよ。戦国時代とか」
「じゃあ歴史巡りかなあ」
「でも体験とかもしてみたくない?」
「こけし作りとか?」
「それだと遠刈田や鳴子かな。秋保もかな」
「工場見学とかは?」
「ああ、ウイスキーとか笹かまの工場もあるね」
「この際温泉に全てを捧げるとか」
「じゃあ鳴子で湯めぐりか」
「鳴子といえば、オニコウベってあるじゃない。あれ漢字だと鬼の首って書くんだよね」
「凄い地名だよね」
「大昔、坂上田村麻呂が斬った鬼の首が飛んできた場所らしいよ」
「へえ、だから鬼首なのか」
「鬼首といえばスキー場っていつオープンだっけ」
「十二月中旬くらいかなあ」
「じゃあちょっと早いか」

 そんな雑談をしながらも、彼女はさらさらと、やりたいことをリストアップしていく。
 お互い好き勝手言い過ぎて、まとめるのが大変そうだけれど「それも旅行の楽しみのひとつだから」とのことらしい。