夜風のような君に恋をした

息が苦しくなってきて、私は速足で洗面所に向かった。

「あ……」

すると、開けた先には久しぶりに見るお兄ちゃんがいて、あと少しのところでぶつかりそうになる。

蒸気がこもっていて、髪が濡れてるから、お風呂に入ったあとみたい。

お兄ちゃんは、毎日お風呂に入っているわけじゃない。

きっと久しぶりの入浴で、ちょうど洗面所を出るところだったのだろう。

少し伸びた茶色い髪に、切れ長の瞳。

目元が私と似てるって、小さい頃からよく言われる。

口元には転々と無精ひげが生えていた。

突然入ってきた私を、お兄ちゃんはチラリとも見ない。

――死んだ魚のような目。

お兄ちゃんは音もなく、私の隣をすり抜けた。

私よりずっと背は高いはずなのに、なぜだか背中が小さく感じる。

廊下の向こうに遠ざかる後ろ姿から、どんよりとした負のオーラが滲み出ていた。

ふと思う。

お兄ちゃんの声って、どんなだったっけ? 

もう、何年も聞いていない。

一日中部屋にこもって、音もたてず、ひっそりと息をしている。

誰にも会わない、ほとんど家を出ることもない、まるで深海生物みたいなお兄ちゃん。

お兄ちゃんのことを心配してた時期もあったけど、今は違う。

私に災いしかもたらさないあの人のことが、心底嫌いだ。