第五章 忘れがたい情景
天気……昼間は冷たい風がひゅうひゅう吹いていて、小雨も降っていた。しかし夕方になると雨も風もやんで、それまで曇っていた空が、からっと晴れた。日が沈むと空の色は、透けたような薄墨色になって、寒々とした夜空に、星がいくつか、またたいていた。
ぼくと老いらくさんは、馬小跳の家がある、おうむ横町までやってきた。横丁の出入り口には鉄の門があって、やはりここも閉鎖されていた。ぼくと老いらくさんは門の下をくぐって、なかに入って、馬小跳が住んでいるマンション棟の下まできた。
「わしはここにいて、スケートボードとキャットフードが盗まれないように番をするよ」
老いらくさんがそう言った。
「うん、分かった。しっかり見守っていてね」
ぼくはそう言うと、ロウバイの花が入った袋を首にかけたまま、落ちないように気をつけながら、窓伝いに外壁を登っていった。馬小跳の家のベランダまで来ると、馬小跳のお母さんがちょうどベランダに出ていて、水仙の花に水をやっていた。馬小跳のお母さんは園芸が大好きなので、冬の寒い時期でもベランダによく出て花の手入れをしている。
「まあ、笑い猫じゃない。よくここまで来ることができたわねえ」
ぼくに気がついて、お母さんは、びっくりしたあまりに、手に持っていたジョウロを思わず下に、ぽとんと落としてしまった。
ぼくはお母さんに、にっこりと笑みを浮かべた。
「さあ、早く、こっちへおいで」
お母さんが手招きした。
ぼくはベランダを駆けるようにして、お母さんのあとについて家のなかに入っていった。お母さんは、ぼくを大切なお客さんとして迎えてくれて客間へ案内してくれた。
「馬小跳、笑い猫よ。ベランダに姿を現したの」
お母さんが馬小跳の部屋のドアを、とんとんと、たたききながら、そう言った。
「何だって、うそだろう」
馬小跳が信じられないような顔をしながら部屋から出てきた。
馬小跳の顔を見て、ぼくがにっこり微笑むと、馬小跳が目を見張っていた。
「お前、よくここまで来ることができたなあ」
馬小跳が、ぼくを見て、しきりに感心していた。馬小跳はぼくを抱きかかえると、部屋のなかをくるくる回りながら
「お前にとても会いたかったよ」
と言って、とても嬉しそうな顔をしていた。
ぼくが首にさげて持ってきた袋が、このとき、ぽとんと下に落ちた。
「あら、これ何かしら」
お母さんが腰をかがめて、床に落ちた袋を拾い上げた。袋のなかを開けてみて、お母さんがにっこりしていた。
「まあ、ロウバイの花じゃない」
お母さんの顔が明るく輝いていた。
「わざわざ気をつかって持ってきてくれたのね。ありがとう」
お母さんが、ぼくの頭を軽くなでてくれた。
ぼくはそのあと前足を胸の前で合わせて、お母さんと馬小跳に、礼儀正しく、大みそかのあいさつをした。
「あー、分かった。この花は春節を迎えるためのプレゼントなんだね」
お母さんが、そう言ったので、ぼくは「ニャーン」と鳴いた。
お母さんは花を生けるのがとても好きなので、家のなかにはいつも、花から発せられる、明るくて華やかなにおいがいっぱい漂っている。お母さんは台所からきれいな果物鉢を持ってくると、そのなかに水を少し注いでから、ぼくが持ってきたロウバイの花を浮かべた。明るい黄色の花びらは透き通っていて、きらきらと輝きながら、部屋のなか全体に、甘いかおりを、そこはかとなく漂わせていた。お母さんと馬小跳はしばらく花をじっと見ていた。そのあと馬小跳がはっとしたような顔をした。
「あっ、そうそう、おれからも、お前にあげたいものがあるんだ」
馬小跳がそう言った。
(何だろう)
ぼくがそう思っていると、馬小跳は自分の部屋にさっと戻ってから、袋を幾つか手に持ってきた。
「これはみんな、友だちから預かってきた春節のプレゼントだ」
馬小跳は、そう言うと、袋を一つひとつ手に取ってぼくに説明してくれた。
「この缶詰は唐飛からのプレゼントだ。このビスケットは張達からのプレゼントだ。この魚醤は毛超からのプレゼントだ。これはおれからのプレゼントだ。お前がいちばん好きな、サクランボのトマトケチャップ和えだ」
みんなが、ぼくのために気をつかってくれたことを知って、ぼくは感激して胸が震えた。
「これらのプレゼントを持って、みんなで翠湖公園に行って、お前にあげることにしていたんだ。ところが急に町が封鎖されて、外に出ることができなくなったから、ぼくが預かったんだ。まさかこんなことになるとは、思ってもいなかった……」
馬小跳の顔には、申し訳ないという思いがあふれていた。
「年が明けたら、またたくさんお前に食べ物を与えて、もてなすからな」
馬小跳がそう言った。
それからしばらくしてから、お母さんが台所からソーセージを盛った皿を持ってきた。ソーセージから湯気が立っていて、おいしそうなにおいが、ぷんぷんしていた。ぼくは早く食べたくてたまらなくなった。
「笑い猫、おなかがへっているでしょう」
お母さんが気をつかってくれた。確かにぼくは、今、おなかがぺこぺこだった。けさ、老いらくさんのうちに、干し肉を持って行った時に、本当は老いらくさんといっしょに食べるつもりでいた。しかし老いらくさんが、おなかをとてもすかしているように見えたので、ぼくは全部、老いらくさんに食べさせて、一口も食べなかった。
「馬小跳、ソーセージが冷めないうちに、早く笑い猫に食べさせなさいよ」
お母さんがそう言った。
「うん、分かった」
馬小跳はそう答えると、ソーセージを一本、ぼくの口元まで持ってきてくれた。お母さんが作ってくれたソーセージの味をかみしめながら、ぼくは一口ひとくち、ゆっくりと食べていった。いくらおなかがへっていると言っても、がつがつと食べるのは、みっともないので、そんな下品な食べ方は、ぼくにはできない。ソーセージを食べ終えると、お母さんが、ウェットティッシュで、ぼくの口元を、ていねいにふいてくれた。
「これからも、おなかがへったときは、遠慮しないで、すぐにうちへおいでよ。分かった」
お母さんがそう言ったので、ぼくは「ニャン」と鳴いてから、お母さんに明るい笑顔を見せた。
ぼくは、馬小跳の家がとても好きだ。お母さんはとてもきれいで優しいし、気品にあふれている。馬小跳も、ぼくにとてもよくしてくれる。でも、春節の前で忙しいだろうから、あまり長居はしないで、そろそろ、いとまごいをすることにした。下で老いらくさんが待っているし、うちに帰ったら、妻猫も、ぼくの帰りを待っている。
ぼくが馬小跳やお母さんに別れのあいさつをすると、二人とも名残惜しそうにしていた。馬小跳からのプレゼントを見て、お母さんが心配そうな顔をして、
「こんなに多くのものを笑い猫は持って帰れないわよ。どうすればいいかしら」
と言って思案に余っていた。馬小跳も考えていた。しばらくしてから馬小跳の頭にひらめきがあった。
「うん、いい方法が思い浮かんだ」
馬小跳はそう言って、手を、ぽんと一つたたいた。それから馬小跳は台所へ行って、大きさがほとんど同じエコバッグを二つ持ってきた。
「何よ、それ、どうするつもり」
お母さんが、けげんそうな顔をしていた。
「二つの袋に食べ物を入れて、ひもで袋を結んで、笑い猫の背中にゆわえたら、背負って運べるんじゃないかと思った」
馬小跳がそう答えた。お母さんはまだ合点がいかないような顔をしていた。ぼくにもよく分からなかった。
「馬やロバのように背中の両側に荷物を垂らして運ばせるんだよ」
馬小跳の説明を聞いて、お母さんは半信半疑の顔をしながら、うなずいていた。ぼくにはまだよく分からなかった。馬やロバが背中の両側に荷物をくくりつけて運んでいるところを、ぼくは見たことがある。でもぼくは馬やロバのように大きくないので、どうやって運ぶのだろう。
「うまくいくかどうか分からないが、ともかく、やってみようよ。もしうまくいかなかったときは、次の方法を考えようよ」
馬小跳が思いついた奇策に、お母さんが、うなずいた。お母さんはそれからまもなく、二つのエコバッグを、ぼくの背中に載せて、背中の両側に垂らして寸法を測った。そのあとハサミでエコバッグを適切な大きさに切ってから、二つを縫い合わせて、最後にひもを二本用意した。
「さあ、これで準備完了だわ」
お母さんがそう言った。
(エコバッグに食べ物を入れて運ぶことは分かったが、ひもはどうするのだろう)
ぼくはそう思った。
「さあ、詰めて」
お母さんが馬小跳にそう言った。馬小跳は、うなずいてから、お
母さんが作ってくれた二つのオリジナルのエコバッグにプレゼン
トを均等に入れた。そのあとお母さんが、ぼくのお腹の下にひも
を回して、エコバッグをしっかりと、ゆわえつけた。
「さあ、これで大丈夫だわ」
お母さんがそう言った。
(そうか、ひもは荷物が落ちないように固定するためのものだった
のか)
ぼくには、ようやく、ひもの意味が分かった。
(これならエコバッグが背中からずり落ちる心配をすることなく
運んでいける)
ぼくはそう思った。
「少し重いと思うけど、我慢して持っていくのよ」
お母さんがそう言った。ぼくは、にっこり、うなずいた。
「これからうちへ来るときは、このエコバッグを持ってくるんだ
よ」
馬小跳はそう言った。ぼくは「ニャン」と鳴いて答えた。
それからまもなく、ぼくは前足を胸の前で合わせて、お母さんと
馬小跳に、別れのあいさつをした。
お母さんと馬小跳は、ぼくをエレベーター口まで見送ってくれた。
エレベーターのドアが開いて、ぼくは下へ降りていった。
エレベーターが一階に着くと、ぼくは老いらくさんを探しにいっ
た。呼びかけると、老いらくさんは、スケートボードを引きなが
らすぐにやってきた。
「何だか、いいにおいがするなあ。春節のにおいだ」
老いらくさんが開口一番、そう言った。ぼくの口元に、ソーセー
ジのにおいが、まだ残っていたのだろうか。ぼくはそう思った。
老いらくさんは以前、ぼくに話したことがある。
「春節が近づくと、どの家の台所にも、豚肉やソーセージが、つ
り下げてあって、それを見ると、もうすぐ春節がやってくるんだ
なあと、わしは思ったよ」
ぼくの口元に残っていたソーセージのにおいを感じて、老いらく
さんは今もそう思っていたのだろうか。
「背中に背負っているものは何だ」
老いらくさんが、けげんそうな顔をして、ぼくに聞いた。
「馬小跳からもらったプレゼントだよ。唐飛や張達や毛超からの
プレゼントも入っているよ」
ぼくは、ほくほくしながら、そう答えた。
「そうか。もうすぐ春節だからな」
老いらくさんが、うらやましそうな顔をしていた。
「翠湖公園に着いたら、老いらくさんにも少し分けてあげるよ」
ぼくがそう言うと、老いらくさんはとても喜んでいた。
「お前は本当に優しいねえ。わしも春節のごちそうをいただける
のかと思うと、うれしいよ」
老いらくさんが、ぼくに感謝した。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく、スケートボードを引
きながら翠湖公園へ帰っていった。ぼくと妻猫が住んでいる山洞
から少し離れたところまで来ると、ぼくは老いらくさんに
「ここから先は、ぼくがひとりでスケートボードを引っ張ってい
くから、老いらくさんはここでしばらく待っていてください」
と言った。
「いいよ。分かった」
老いらくさんはそう答えた。
杜真子からもらったキャットフードをスケートボードに載せて、
山洞の前まで来ると、なかから妻猫が出てきた。
「わあ、こんなにたくさん……」
妻猫の顔が咲きたての赤いバラのように明るく輝いていた。
「杜真子や馬小跳のうちからもらってきたんだ」
ぼくはそう答えた。
「そうなの。よかったわね。それに載せてここまで運んできたの」
妻猫が聞いた。
「うん」
「だれが貸してくれたの」
「……」
ぼくには答えられなかった。
老いらくさんのことは、妻猫にはまだ話していない。話すわけ
にはいかない。
答えないぼくを見て、妻猫はけげんそうな顔をしたが、それ以上、
深く追及はしなかった。
今夜は本当は老いらくさんも交えて、ここで年越しご飯を食べる
つもりでいた。でも妻猫が老いらくさんを見ると、飛びかからな
いとも限らないので、老いらくさんには申し訳ないが、帰っても
らうしかなかった。猫はネズミを見ると本能的に飛びかかろうと
するのは、避けがたい性(さが)だからだ。
「ちょっと待っていて。すぐに戻るから」
ぼくは妻猫にそう言うと、山洞から少し離れたところで待って
いる老いらくさんのところまでスケートボードを返しにいった。
ぼくが老いらくさんに事情を話すと、老いらくさんは
「いいよ、いいよ。気にしていないから」
と、答えた。
老いらくさんは、それからまもなく、ぼくからもらったおすそわ
けをスケートボードに載せて、うれしそうに自分のうちがある梅
園へ帰っていった。老いらくさんの姿を見送ったあと、ぼくはう
ちへ再び帰っていった。
うちのなかで、妻猫は、ぼくが馬小跳からもらってきたソーセー
ジや、缶詰やビスケットや魚醤や、サクランボのトマトケチャッ
プ和えや、杜真子からもらってきたキャットフードを、一つひと
つ手に取って、じっと見ていた。
「どれもこれも、とてもおいしそう。みんなの気持ちがこもって
いるわ」
妻猫はそう言って、喜々としていた。
ぼくもにっこり、うなずいた。
「食べ物は、もう底を突いていたから、どうやって年を越そうか
と思って、今までずっと心配していたところだったの。よかった
わ」
たくさんの食べ物を目の前にして、妻猫は、ほっとしていた。
「心配かけてごめんよ。でももうこれからは心配いらないよ。食
べ物が減ってきたときは、杜真子や馬小跳のうちへ、またもらい
に行ってくるよ」
ぼくはそう答えた。
「ほら、ちょっと、見て」
ぼくはそう言って、馬小跳のお母さんが、ぼくのために、わざわ
ざ作ってくれた特製のエコバッグを見せた。
「きれいなバッグですね」
妻猫が、そう言った。
ぼくはうなずいた。
「馬小跳のお母さんが作ってくれたんだ。この袋を持っていけば、
いつでも、これに食べ物を入れてもらえるんだ」
ぼくはそう答えた。
「そうなの。よかったわね。じゃあ、これからはもう、食べ物の
心配は本当にいらないのね」
「うん、そうだよ」
ぼくはにっこり、うなずいた。
「杜真子や馬小跳はどうしてた。元気だった」
妻猫が二人のことをとても気にかけていた。
「うん、二人とも元気だったよ」
ぼくがそう言うと、妻猫は安堵にあふれた顔をしながら
「よかった」
と答えた。
「杜真子のお父さんは、うちにいなかったので、杜真子はお父さ
んのことをとても心配していたけどね」
ぼくはそうつけ加えた。
「どうして、うちにいなかったの」
妻猫が、いぶかしそうな顔をしていた。
「春節は家族みんなで楽しく過ごすのじゃないの」
妻猫が聞いた。
「うん、今まではずっとそうだったけど、今年は、今までとは違
うんだ」
ぼくはそう答えた。
「杜真子のお父さんはウイルスやワクチンの研究をしている人だ
から、今、国内の感染状況がいちばん深刻なW市に行って感染拡
大を防止するために尽力しているんだ」
ぼくが、そう説明すると、妻猫はうなずいた。
「杜真子はお父さんとスマートフォンで画面越しに話しながら、
お父さんのことを、とても気づかっていたよ。お父さんは、元気
そうだったけど、防護服や防護眼鏡や防護マスクをして重装備だ
ったので、ぼくには誰だか、はっきり分からないくらいだった」
ぼくがそう答えると、妻猫は鉛のように重いためいきをついた。
ぼくと妻猫は、年越しご飯を食べながら、子どもたちのことを話
した。パントーやアーヤーやサンパオがまだ幼かったころの思い
出に花を咲かせていた。子どもたちといっしょに過ごした大みそ
かの楽しかった思い出が走馬灯のように、頭の中でくるくると回
りながら、いろいろとよみがえってきて感慨無量だった。楽しか
った思い出ばかりではない。辛くて悲しかった思い出もある。い
ちばん下の子はとてもかわいそうだった。長く生きることができ
なかったからだ。そのことを話していると、ぼくも妻猫も胸がき
ゅんとなって、おえつの声が止まらなくなるので、ぼくも妻猫も
なるべく、その話はしないようにしている。
大みそかの習慣に従って、ぼくと妻猫は年越しご飯を食べながら、
おしゃべりをして夜中の十二時過ぎまで過ごすことにした。そう
することで平穏のうちに行く年を送り、幸運に満ちた新しい年を
迎えることができるからだ。
夜中の十二時ちょうどになると鐘の音が鳴り始め、鐘の音は夜空
にとどろき、町全体に響きわたった。鐘の音は余韻をともなって
長く鳴り響き、星降る夜に清浄な音となって深く流れていった。
ぼくと妻猫は、山洞の出入り口にたたずんで、鐘の音に静かに耳
を傾けていた。すると鐘の音とともに、どこからともなく、ぼく
と妻猫がよく知っている歌が風のように聞こえてきた。
忘れがたき今宵忘れがたき今宵
天地の果てまで思いをはせて
祖国全土に心を致し
祖国の安寧を共に願う
ぼくと妻猫は、山洞の出入り口にたたずんで、外の様子を見てい
た。空から星が降るように降っていて、町全体が星月夜の、こう
こうとした明るさに包まれていた。
ぼくと妻猫は、歌に誘われるように、翠湖公園の外までかけてい
った。歌はますます、はっきりと聞こえてくるようになった。町
全体の人が声をそろえて歌っているように思われた。どのマンシ
ョンやアパートの、どの窓にも明るくて小さな光が、蛍火のよう
に、ともっていて、聞こえてくる歌のリズムに合わせて、光が小
刻みに揺れていた。みんなが手にスマートフォンを持って、画面
を見ながら、窓際で歌を歌っていた。
(ああ、やっぱりそうだった)
ぼくはそう思った。町全体の人が、切なる思いや願いを歌に託し
ながら、年が明けたばかりの今、声をそろえて歌っているのだっ
た。
ほとばしるような情感に溢れた、町の人たちの熱い思いや願いが、
ぼくの心を深く感動させた。今夜は凍てつくように寒い夜なのに、
ぼくの心はぽかぽかと暖かくなり、気持ちが高ぶって、血がわき
たった。疫病が猛威をふるって人々の心を不安にさせている今、
この町に住んでいる人たちはみんな、老若男女を問わず、少しも
ひるまないで疫病に立ち向かおうとしている。みんな胸に希望を
抱きながら、自信に満ちた声で高らかに、祖国の安寧を願う歌を
歌っている。この町の人たちは、きっと『新型コロナイルス』に
打ち勝つことができる。降ってくるような歌声を聞いて、ぼくは、
そう確信した。今日のことを、ぼくは一生、忘れない。
天気……昼間は冷たい風がひゅうひゅう吹いていて、小雨も降っていた。しかし夕方になると雨も風もやんで、それまで曇っていた空が、からっと晴れた。日が沈むと空の色は、透けたような薄墨色になって、寒々とした夜空に、星がいくつか、またたいていた。
ぼくと老いらくさんは、馬小跳の家がある、おうむ横町までやってきた。横丁の出入り口には鉄の門があって、やはりここも閉鎖されていた。ぼくと老いらくさんは門の下をくぐって、なかに入って、馬小跳が住んでいるマンション棟の下まできた。
「わしはここにいて、スケートボードとキャットフードが盗まれないように番をするよ」
老いらくさんがそう言った。
「うん、分かった。しっかり見守っていてね」
ぼくはそう言うと、ロウバイの花が入った袋を首にかけたまま、落ちないように気をつけながら、窓伝いに外壁を登っていった。馬小跳の家のベランダまで来ると、馬小跳のお母さんがちょうどベランダに出ていて、水仙の花に水をやっていた。馬小跳のお母さんは園芸が大好きなので、冬の寒い時期でもベランダによく出て花の手入れをしている。
「まあ、笑い猫じゃない。よくここまで来ることができたわねえ」
ぼくに気がついて、お母さんは、びっくりしたあまりに、手に持っていたジョウロを思わず下に、ぽとんと落としてしまった。
ぼくはお母さんに、にっこりと笑みを浮かべた。
「さあ、早く、こっちへおいで」
お母さんが手招きした。
ぼくはベランダを駆けるようにして、お母さんのあとについて家のなかに入っていった。お母さんは、ぼくを大切なお客さんとして迎えてくれて客間へ案内してくれた。
「馬小跳、笑い猫よ。ベランダに姿を現したの」
お母さんが馬小跳の部屋のドアを、とんとんと、たたききながら、そう言った。
「何だって、うそだろう」
馬小跳が信じられないような顔をしながら部屋から出てきた。
馬小跳の顔を見て、ぼくがにっこり微笑むと、馬小跳が目を見張っていた。
「お前、よくここまで来ることができたなあ」
馬小跳が、ぼくを見て、しきりに感心していた。馬小跳はぼくを抱きかかえると、部屋のなかをくるくる回りながら
「お前にとても会いたかったよ」
と言って、とても嬉しそうな顔をしていた。
ぼくが首にさげて持ってきた袋が、このとき、ぽとんと下に落ちた。
「あら、これ何かしら」
お母さんが腰をかがめて、床に落ちた袋を拾い上げた。袋のなかを開けてみて、お母さんがにっこりしていた。
「まあ、ロウバイの花じゃない」
お母さんの顔が明るく輝いていた。
「わざわざ気をつかって持ってきてくれたのね。ありがとう」
お母さんが、ぼくの頭を軽くなでてくれた。
ぼくはそのあと前足を胸の前で合わせて、お母さんと馬小跳に、礼儀正しく、大みそかのあいさつをした。
「あー、分かった。この花は春節を迎えるためのプレゼントなんだね」
お母さんが、そう言ったので、ぼくは「ニャーン」と鳴いた。
お母さんは花を生けるのがとても好きなので、家のなかにはいつも、花から発せられる、明るくて華やかなにおいがいっぱい漂っている。お母さんは台所からきれいな果物鉢を持ってくると、そのなかに水を少し注いでから、ぼくが持ってきたロウバイの花を浮かべた。明るい黄色の花びらは透き通っていて、きらきらと輝きながら、部屋のなか全体に、甘いかおりを、そこはかとなく漂わせていた。お母さんと馬小跳はしばらく花をじっと見ていた。そのあと馬小跳がはっとしたような顔をした。
「あっ、そうそう、おれからも、お前にあげたいものがあるんだ」
馬小跳がそう言った。
(何だろう)
ぼくがそう思っていると、馬小跳は自分の部屋にさっと戻ってから、袋を幾つか手に持ってきた。
「これはみんな、友だちから預かってきた春節のプレゼントだ」
馬小跳は、そう言うと、袋を一つひとつ手に取ってぼくに説明してくれた。
「この缶詰は唐飛からのプレゼントだ。このビスケットは張達からのプレゼントだ。この魚醤は毛超からのプレゼントだ。これはおれからのプレゼントだ。お前がいちばん好きな、サクランボのトマトケチャップ和えだ」
みんなが、ぼくのために気をつかってくれたことを知って、ぼくは感激して胸が震えた。
「これらのプレゼントを持って、みんなで翠湖公園に行って、お前にあげることにしていたんだ。ところが急に町が封鎖されて、外に出ることができなくなったから、ぼくが預かったんだ。まさかこんなことになるとは、思ってもいなかった……」
馬小跳の顔には、申し訳ないという思いがあふれていた。
「年が明けたら、またたくさんお前に食べ物を与えて、もてなすからな」
馬小跳がそう言った。
それからしばらくしてから、お母さんが台所からソーセージを盛った皿を持ってきた。ソーセージから湯気が立っていて、おいしそうなにおいが、ぷんぷんしていた。ぼくは早く食べたくてたまらなくなった。
「笑い猫、おなかがへっているでしょう」
お母さんが気をつかってくれた。確かにぼくは、今、おなかがぺこぺこだった。けさ、老いらくさんのうちに、干し肉を持って行った時に、本当は老いらくさんといっしょに食べるつもりでいた。しかし老いらくさんが、おなかをとてもすかしているように見えたので、ぼくは全部、老いらくさんに食べさせて、一口も食べなかった。
「馬小跳、ソーセージが冷めないうちに、早く笑い猫に食べさせなさいよ」
お母さんがそう言った。
「うん、分かった」
馬小跳はそう答えると、ソーセージを一本、ぼくの口元まで持ってきてくれた。お母さんが作ってくれたソーセージの味をかみしめながら、ぼくは一口ひとくち、ゆっくりと食べていった。いくらおなかがへっていると言っても、がつがつと食べるのは、みっともないので、そんな下品な食べ方は、ぼくにはできない。ソーセージを食べ終えると、お母さんが、ウェットティッシュで、ぼくの口元を、ていねいにふいてくれた。
「これからも、おなかがへったときは、遠慮しないで、すぐにうちへおいでよ。分かった」
お母さんがそう言ったので、ぼくは「ニャン」と鳴いてから、お母さんに明るい笑顔を見せた。
ぼくは、馬小跳の家がとても好きだ。お母さんはとてもきれいで優しいし、気品にあふれている。馬小跳も、ぼくにとてもよくしてくれる。でも、春節の前で忙しいだろうから、あまり長居はしないで、そろそろ、いとまごいをすることにした。下で老いらくさんが待っているし、うちに帰ったら、妻猫も、ぼくの帰りを待っている。
ぼくが馬小跳やお母さんに別れのあいさつをすると、二人とも名残惜しそうにしていた。馬小跳からのプレゼントを見て、お母さんが心配そうな顔をして、
「こんなに多くのものを笑い猫は持って帰れないわよ。どうすればいいかしら」
と言って思案に余っていた。馬小跳も考えていた。しばらくしてから馬小跳の頭にひらめきがあった。
「うん、いい方法が思い浮かんだ」
馬小跳はそう言って、手を、ぽんと一つたたいた。それから馬小跳は台所へ行って、大きさがほとんど同じエコバッグを二つ持ってきた。
「何よ、それ、どうするつもり」
お母さんが、けげんそうな顔をしていた。
「二つの袋に食べ物を入れて、ひもで袋を結んで、笑い猫の背中にゆわえたら、背負って運べるんじゃないかと思った」
馬小跳がそう答えた。お母さんはまだ合点がいかないような顔をしていた。ぼくにもよく分からなかった。
「馬やロバのように背中の両側に荷物を垂らして運ばせるんだよ」
馬小跳の説明を聞いて、お母さんは半信半疑の顔をしながら、うなずいていた。ぼくにはまだよく分からなかった。馬やロバが背中の両側に荷物をくくりつけて運んでいるところを、ぼくは見たことがある。でもぼくは馬やロバのように大きくないので、どうやって運ぶのだろう。
「うまくいくかどうか分からないが、ともかく、やってみようよ。もしうまくいかなかったときは、次の方法を考えようよ」
馬小跳が思いついた奇策に、お母さんが、うなずいた。お母さんはそれからまもなく、二つのエコバッグを、ぼくの背中に載せて、背中の両側に垂らして寸法を測った。そのあとハサミでエコバッグを適切な大きさに切ってから、二つを縫い合わせて、最後にひもを二本用意した。
「さあ、これで準備完了だわ」
お母さんがそう言った。
(エコバッグに食べ物を入れて運ぶことは分かったが、ひもはどうするのだろう)
ぼくはそう思った。
「さあ、詰めて」
お母さんが馬小跳にそう言った。馬小跳は、うなずいてから、お
母さんが作ってくれた二つのオリジナルのエコバッグにプレゼン
トを均等に入れた。そのあとお母さんが、ぼくのお腹の下にひも
を回して、エコバッグをしっかりと、ゆわえつけた。
「さあ、これで大丈夫だわ」
お母さんがそう言った。
(そうか、ひもは荷物が落ちないように固定するためのものだった
のか)
ぼくには、ようやく、ひもの意味が分かった。
(これならエコバッグが背中からずり落ちる心配をすることなく
運んでいける)
ぼくはそう思った。
「少し重いと思うけど、我慢して持っていくのよ」
お母さんがそう言った。ぼくは、にっこり、うなずいた。
「これからうちへ来るときは、このエコバッグを持ってくるんだ
よ」
馬小跳はそう言った。ぼくは「ニャン」と鳴いて答えた。
それからまもなく、ぼくは前足を胸の前で合わせて、お母さんと
馬小跳に、別れのあいさつをした。
お母さんと馬小跳は、ぼくをエレベーター口まで見送ってくれた。
エレベーターのドアが開いて、ぼくは下へ降りていった。
エレベーターが一階に着くと、ぼくは老いらくさんを探しにいっ
た。呼びかけると、老いらくさんは、スケートボードを引きなが
らすぐにやってきた。
「何だか、いいにおいがするなあ。春節のにおいだ」
老いらくさんが開口一番、そう言った。ぼくの口元に、ソーセー
ジのにおいが、まだ残っていたのだろうか。ぼくはそう思った。
老いらくさんは以前、ぼくに話したことがある。
「春節が近づくと、どの家の台所にも、豚肉やソーセージが、つ
り下げてあって、それを見ると、もうすぐ春節がやってくるんだ
なあと、わしは思ったよ」
ぼくの口元に残っていたソーセージのにおいを感じて、老いらく
さんは今もそう思っていたのだろうか。
「背中に背負っているものは何だ」
老いらくさんが、けげんそうな顔をして、ぼくに聞いた。
「馬小跳からもらったプレゼントだよ。唐飛や張達や毛超からの
プレゼントも入っているよ」
ぼくは、ほくほくしながら、そう答えた。
「そうか。もうすぐ春節だからな」
老いらくさんが、うらやましそうな顔をしていた。
「翠湖公園に着いたら、老いらくさんにも少し分けてあげるよ」
ぼくがそう言うと、老いらくさんはとても喜んでいた。
「お前は本当に優しいねえ。わしも春節のごちそうをいただける
のかと思うと、うれしいよ」
老いらくさんが、ぼくに感謝した。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく、スケートボードを引
きながら翠湖公園へ帰っていった。ぼくと妻猫が住んでいる山洞
から少し離れたところまで来ると、ぼくは老いらくさんに
「ここから先は、ぼくがひとりでスケートボードを引っ張ってい
くから、老いらくさんはここでしばらく待っていてください」
と言った。
「いいよ。分かった」
老いらくさんはそう答えた。
杜真子からもらったキャットフードをスケートボードに載せて、
山洞の前まで来ると、なかから妻猫が出てきた。
「わあ、こんなにたくさん……」
妻猫の顔が咲きたての赤いバラのように明るく輝いていた。
「杜真子や馬小跳のうちからもらってきたんだ」
ぼくはそう答えた。
「そうなの。よかったわね。それに載せてここまで運んできたの」
妻猫が聞いた。
「うん」
「だれが貸してくれたの」
「……」
ぼくには答えられなかった。
老いらくさんのことは、妻猫にはまだ話していない。話すわけ
にはいかない。
答えないぼくを見て、妻猫はけげんそうな顔をしたが、それ以上、
深く追及はしなかった。
今夜は本当は老いらくさんも交えて、ここで年越しご飯を食べる
つもりでいた。でも妻猫が老いらくさんを見ると、飛びかからな
いとも限らないので、老いらくさんには申し訳ないが、帰っても
らうしかなかった。猫はネズミを見ると本能的に飛びかかろうと
するのは、避けがたい性(さが)だからだ。
「ちょっと待っていて。すぐに戻るから」
ぼくは妻猫にそう言うと、山洞から少し離れたところで待って
いる老いらくさんのところまでスケートボードを返しにいった。
ぼくが老いらくさんに事情を話すと、老いらくさんは
「いいよ、いいよ。気にしていないから」
と、答えた。
老いらくさんは、それからまもなく、ぼくからもらったおすそわ
けをスケートボードに載せて、うれしそうに自分のうちがある梅
園へ帰っていった。老いらくさんの姿を見送ったあと、ぼくはう
ちへ再び帰っていった。
うちのなかで、妻猫は、ぼくが馬小跳からもらってきたソーセー
ジや、缶詰やビスケットや魚醤や、サクランボのトマトケチャッ
プ和えや、杜真子からもらってきたキャットフードを、一つひと
つ手に取って、じっと見ていた。
「どれもこれも、とてもおいしそう。みんなの気持ちがこもって
いるわ」
妻猫はそう言って、喜々としていた。
ぼくもにっこり、うなずいた。
「食べ物は、もう底を突いていたから、どうやって年を越そうか
と思って、今までずっと心配していたところだったの。よかった
わ」
たくさんの食べ物を目の前にして、妻猫は、ほっとしていた。
「心配かけてごめんよ。でももうこれからは心配いらないよ。食
べ物が減ってきたときは、杜真子や馬小跳のうちへ、またもらい
に行ってくるよ」
ぼくはそう答えた。
「ほら、ちょっと、見て」
ぼくはそう言って、馬小跳のお母さんが、ぼくのために、わざわ
ざ作ってくれた特製のエコバッグを見せた。
「きれいなバッグですね」
妻猫が、そう言った。
ぼくはうなずいた。
「馬小跳のお母さんが作ってくれたんだ。この袋を持っていけば、
いつでも、これに食べ物を入れてもらえるんだ」
ぼくはそう答えた。
「そうなの。よかったわね。じゃあ、これからはもう、食べ物の
心配は本当にいらないのね」
「うん、そうだよ」
ぼくはにっこり、うなずいた。
「杜真子や馬小跳はどうしてた。元気だった」
妻猫が二人のことをとても気にかけていた。
「うん、二人とも元気だったよ」
ぼくがそう言うと、妻猫は安堵にあふれた顔をしながら
「よかった」
と答えた。
「杜真子のお父さんは、うちにいなかったので、杜真子はお父さ
んのことをとても心配していたけどね」
ぼくはそうつけ加えた。
「どうして、うちにいなかったの」
妻猫が、いぶかしそうな顔をしていた。
「春節は家族みんなで楽しく過ごすのじゃないの」
妻猫が聞いた。
「うん、今まではずっとそうだったけど、今年は、今までとは違
うんだ」
ぼくはそう答えた。
「杜真子のお父さんはウイルスやワクチンの研究をしている人だ
から、今、国内の感染状況がいちばん深刻なW市に行って感染拡
大を防止するために尽力しているんだ」
ぼくが、そう説明すると、妻猫はうなずいた。
「杜真子はお父さんとスマートフォンで画面越しに話しながら、
お父さんのことを、とても気づかっていたよ。お父さんは、元気
そうだったけど、防護服や防護眼鏡や防護マスクをして重装備だ
ったので、ぼくには誰だか、はっきり分からないくらいだった」
ぼくがそう答えると、妻猫は鉛のように重いためいきをついた。
ぼくと妻猫は、年越しご飯を食べながら、子どもたちのことを話
した。パントーやアーヤーやサンパオがまだ幼かったころの思い
出に花を咲かせていた。子どもたちといっしょに過ごした大みそ
かの楽しかった思い出が走馬灯のように、頭の中でくるくると回
りながら、いろいろとよみがえってきて感慨無量だった。楽しか
った思い出ばかりではない。辛くて悲しかった思い出もある。い
ちばん下の子はとてもかわいそうだった。長く生きることができ
なかったからだ。そのことを話していると、ぼくも妻猫も胸がき
ゅんとなって、おえつの声が止まらなくなるので、ぼくも妻猫も
なるべく、その話はしないようにしている。
大みそかの習慣に従って、ぼくと妻猫は年越しご飯を食べながら、
おしゃべりをして夜中の十二時過ぎまで過ごすことにした。そう
することで平穏のうちに行く年を送り、幸運に満ちた新しい年を
迎えることができるからだ。
夜中の十二時ちょうどになると鐘の音が鳴り始め、鐘の音は夜空
にとどろき、町全体に響きわたった。鐘の音は余韻をともなって
長く鳴り響き、星降る夜に清浄な音となって深く流れていった。
ぼくと妻猫は、山洞の出入り口にたたずんで、鐘の音に静かに耳
を傾けていた。すると鐘の音とともに、どこからともなく、ぼく
と妻猫がよく知っている歌が風のように聞こえてきた。
忘れがたき今宵忘れがたき今宵
天地の果てまで思いをはせて
祖国全土に心を致し
祖国の安寧を共に願う
ぼくと妻猫は、山洞の出入り口にたたずんで、外の様子を見てい
た。空から星が降るように降っていて、町全体が星月夜の、こう
こうとした明るさに包まれていた。
ぼくと妻猫は、歌に誘われるように、翠湖公園の外までかけてい
った。歌はますます、はっきりと聞こえてくるようになった。町
全体の人が声をそろえて歌っているように思われた。どのマンシ
ョンやアパートの、どの窓にも明るくて小さな光が、蛍火のよう
に、ともっていて、聞こえてくる歌のリズムに合わせて、光が小
刻みに揺れていた。みんなが手にスマートフォンを持って、画面
を見ながら、窓際で歌を歌っていた。
(ああ、やっぱりそうだった)
ぼくはそう思った。町全体の人が、切なる思いや願いを歌に託し
ながら、年が明けたばかりの今、声をそろえて歌っているのだっ
た。
ほとばしるような情感に溢れた、町の人たちの熱い思いや願いが、
ぼくの心を深く感動させた。今夜は凍てつくように寒い夜なのに、
ぼくの心はぽかぽかと暖かくなり、気持ちが高ぶって、血がわき
たった。疫病が猛威をふるって人々の心を不安にさせている今、
この町に住んでいる人たちはみんな、老若男女を問わず、少しも
ひるまないで疫病に立ち向かおうとしている。みんな胸に希望を
抱きながら、自信に満ちた声で高らかに、祖国の安寧を願う歌を
歌っている。この町の人たちは、きっと『新型コロナイルス』に
打ち勝つことができる。降ってくるような歌声を聞いて、ぼくは、
そう確信した。今日のことを、ぼくは一生、忘れない。

