「おかえりなさいませ。……帰ってきちゃったんですね」

 もう夜だというのに、執務室にはロジャーがいた。

「お前はなぜ帰らないんだ」

「奥手な殿下の恋路を見守ろうとしているんですよ、これでも」

「恋路とはなんだ」

 ツン、とそっぽを向きながら言うと、ロジャーは信じられないものを見るように、目を眇める。

「まさか、自覚していないとかではないですよね」

「なにをだ」

「フィオナ様のことですよ。お好きなんでしょう?」

「……ばっ」

 一気に彼の顔が赤く染まる。いい年をして初恋のような反応に、この人、戦争ばかりしていたものな……とロジャーは遠い目になった。

「なっ、なんでお前、知って」

「当然でしょう。フィオナ様は気づいていないようですが、私は長年の王子の側近ですよ。態度で分かります。いいじゃありませんか。フィオナ様はオスニエル様の奥方です。夫婦円満は何よりなことですよ」

「円満なんかじゃない!」

 オスニエルは前のめりになり、そして、どこかモヤモヤした自分の気持ちの引っかかっている部分に気づいた。

「……俺はフィオナを殺そうとしたんだぞ?」

 元が蛮族のブライト王国の姫など、ごめんだと思った。だから来る前に殺してしまおうと思っていた。
 彼女のことを知りもしないで、よくそんなことができたものだ。今となれば恥ずかしくさえ思うが、当時のオスニエルは本気だった。本気で、ブライト王国の人間など虫けらのようだと思っていたのだ。

「でも、今のフィオナ様はそれを咎めてはおられないじゃありませんか」

「言わないだけだ。俺を信用はしていない。あいつはいつだって、俺のことを警戒している」

「であれば、オスニエル様が謝罪をなさればいいのでは? 悪かったのだと思っているのならば」

 ロジャーの言っていることは正論だ。
 フィオナが欲しいのならば、まずは許しを請わなければならない。しかし、これまで人に頭を下げたことのないオスニエルには、それはなかなかに難しい。

「謝る……など」

「したくないならしなくてもいいかと思います。王子はそれだけの立場におられますし。ただ、人の心は権力で溶かすことはできないかと」

 オスニエルはしばらく部屋を歩き回る。

「……考えてみる。お前はもう寝ろ」

「では失礼いたします」

 ロジャーはほほ笑んで部屋を出ていく。彼は忠実な側近だが、たまにお節介だ。

「フィオナに謝罪? しかし、俺が謝罪などしては、国の立場が」

 オスニエルは火照った頭を冷やすため、窓を開けた。夜の冷たい空気が、室内を満たしていく。そうしてそこから何時間も悩み続けた彼は、翌朝、高熱を出してしまったのだ。