(私たちは弱者の気持ちを少しも知らない。

それは自分が弱い立場の人間になったことがないからだ。

私たちは無意識のうちに弱い立場の人間のすべてを否定していのかもしれない。

その人が弱い立場の人間になっているのは、その人の努力不足で、原因はその人にあるって決めつけていたのかもしれない)


私は忍じゃないから忍の気持ちを想像することしかできない。


もしも私に陰キャ眼鏡というあだ名がつけられたら、私は学校に行きたくなくなると思う。


自分の存在を否定されることは、すごく悲しいことだから。


あの三年二組の小さな教室で毎日いじめが行われていたのは、弱い者をいじめて、優越感に浸りたい人がいたからだと思う。


でも、誰かを否定してまで私は自分が偉くなった気持ちになりたくない。


たくさんの悲しみの上に、私の幸せがあってはいけない。


みんなが幸せになる方法があるのならば、それが一番に決まっているから。