……と、意気込んで屋敷を飛び出してはきたものの、馬車に揺られるうちに頭は幾分冷えるもので、かといって引き返すつもりもない。
 屋敷に戻って彼女の帰りを待ったところで、先ほどまでと同じただただ憂鬱な状態になるだけだ。

「坊ちゃん、奥様に叱られますよ。付き添っておられるはずですし」
「うるさい」

 見合い会場は、相手の屋敷だと聞いていた。住所を調べるまでもない、母様が選んだ男はやり手と噂の準男爵だったから、御者に名前を告げるだけで事足りる。
 さすが有名人。手がけた事業を成功させ一代にして富を築き上げて爵位を受けた男、そりゃあ平民たちの生きる希望そのものにもなるってもんだ。
 母様もその手腕を見込んで、娘同然のアンを託すに値すると判断したんだろう。

「……どれほどの男だって言うんだ」

 噂によるとなかなかの美丈夫だという話だけど、噂なんて誇張が過ぎるものだ。僕は信じていない。どうせ醜男のおっさんに違いないんだ。可愛いアンと釣り合うはずがない。

「あの屋敷がそうですねえ」という御者の声にハッとして、見えてきたその場で馬車を停めさせる。辺りを警戒しつつショーンと二人、通りに降り立った。
 柵伝いに歩いて見上げると、想像していたよりよっぽど立派な屋敷。醜男でも優秀な大人の男であることは確かかもしれないと、早くも挫けそうな気持ちが芽生える。

「奥様がお選びになった方なんですから、変な人なわけないですって」
「この目で確かめないと信じられるかっ」
「じゃあ乗り込むんです?」
「それは……失礼だろ……」

 柵にへばりつくようにして敷地内を覗こうとしながらも尻込みすると、背後から息の抜ける音がした。鼻で笑われたような気がする。
 分かっている、どうせ僕は甘ったれ坊ちゃんでしかない。好きな人のピンチだなんだと騒ぎ立てたところで、乗り込む度胸もないただのヘタレ小僧だ。

「見合いって庭でやってたりしないかな?」
「さあ、俺貴族じゃないんでわからないですし」
「屋敷内かな、変なことされたりしてないかな」
「どーでしょーねー」
「……ああくそっ」
「口が悪くなってますよ」

 正面口にはうちの馬車が停まっているだろうからとそこまで回り込めず、うろうろそわそわと、行ったり来たり。これではまるで、

「不審者ですね」
「…………言うな」

 ここまで来て何をやっているんだか。
 そんな不審行為をどうにか見咎められずに続けていると、ガチャリ、と金属音がした。

 見れば正面口の門が開いている。慌てて物陰に隠れようにも、身を覆えるほどの何かしらはなく、焦りながら周囲を見回す。
「あ。」とショーンの声に振り向くと、うちの家紋が入った馬車。息を飲む。準男爵らしき妙齢の男にエスコートされて乗り込むアンは、微笑んでその手を借りている。他人が見たなら麗しいと評するだろうその様は、……僕の理想に近い。

 ――アン。

 似合いだと思ってしまったことに顔が歪む。
 他の誰でもなく自分こそがそうありたいのなら、何を言われようと努力すべきなのに。僕はただ、仕事という名目を振りかざして縛り付けているだけだった。

 あまりに熱心に見入ってしまっていたのか、アン……ではなく、そばに立つ母様がこちらを振り返り、

「……っぶね、」
「同罪で叱責されたくないんですけど」

 すんでのところで襟首を引っ掴んだショーンの手によって反対を向かされ、ギリギリで顔を背けることに成功する。
 朝からアンに付きっきりだった母様とは、幸いにも今日はまだ顔を合わせていないから、僕が何を着ていたかなんて知らないはず。念のため、とりあえず帰ったら急いで違う服に着替えようと決め、背中に視線を感じながら、おかしくない程度に足早に、その場を離れるのだった。