僕には、好きな人がいる。


 真面目で優しくて、働き者で、何も言わないでもあれこれ察して動いてくれるような優秀な人で、そのくせおかしなところで鈍感で。とても、とても可愛らしい人。

 屋敷に入ったばかりの、ちょこちょこ走り回って働く姿が愛らしかったのを覚えている。当時の僕はまだ片手ほどの年齢だったけど、懸命になりすぎて難しい顔になっていた彼女が僕を見て微笑んだ、それがトドメっていうから自分で思うのも何だけど、僕はちょろい。

 その瞬間から今日この時まで、ずっと恋しく想い続けて……いつの間にか十年。
 僕の片想いの日々は、また更新されていく。

「おかえりなさい、母様。お待ちしておりました」
「あら、エンリック。珍しいこと」

 衝撃から立ち直った僕は、諸悪の根源であるらしい母様の帰宅を待ち構えた。あの話のせいで勉強も何もかも手につかず、普段よりぐっと長く感じる一日を過ごすのは、もうそれだけでなかなかに苦しいことだった。

 それでもまだ、この話が出たのが学園の長期休みの間で良かった。そうでなければ僕の知らないうちに、何を間違ってかトントン拍子に結婚、なんてことになった可能性はある。なんせアンは魅力的な女性だ、まさしく恋している僕が言うんだから間違いない。
 もしも、万が一にも、そんな展開になったなら、再会を楽しみにひさしぶりに帰省した家にはいるはずの彼女の姿がなく、ようやく会えたとしても「坊ちゃん、私、結婚しました」なんてにっこり笑顔を向けられ……、いや、想像しただけで僕はこれから先、生きていける自信が無くなってしまう。

 馬車で帰ってきたばかりの母様は、仁王立ちで出迎えた僕の姿に察するものがあったのか、一瞥してにっこりと笑ってみせた。
 母様の指示を受けたメイドがテラスに席を設ける。テーブルにのるのは形ばかりの軽食のセット。昼食もろくに喉を通らなかった僕は当然そんな気分でないし、母様は外で甘いものなんかをいろいろ摂取してきたみたいだし、でもまあ何もないよりは手慰みにでもなるだろう。

「それで?」