リンネが泣いた。いや、正式には泣いてはいない。今にも零れそうな涙を瞳に溜めたまま、俺の胸に向かって必死に針を動かしていた。

『……私にはレオしかいないのに』

 彼女の絞り出したような声を聞いた瞬間、俺は、全身を揺さぶられたような気がして、心臓が大きく脈打った。

――傍にいてやらなければいけない。生きなければ。

 沸き上がったのは、今までとは違った感情だった。

 これまで俺は、リンネはひとりで生きていける女なのだと思っていた。

 王子である俺を無理やりランニングにつき合わせる図々しさとか、普段から食い物のことしか考えていなさそうな短絡的なところとか、友人が少なくても飄々としているところとか、彼女はどこをとっても逞しく、俺なんかよりもずっと精神的に強いのだろうと。
 だから、俺がいなくなっても、一瞬は悲しむだろうが、立ち直って普通に生きていくのだろうと思っていた。

 だけど、言われてみれば、たしかにあいつのランニングにつきあうやつは俺しかいないのだ。辛いとき、困ったとき、走って忘れようとするあいつは、この先俺がいなくなったら、ひとりで泣きながら走るのかもしれない。いや、走らせてもらえない可能性のほうが高い。
俺が一緒にいればこそ、誰も文句を言わないが、リンネひとりのときは苦言を呈されることもあるようだった。

 だとしたら、この先、リンネは今みたいな悲しい顔をずっとするのか? 走ることもできずに、息苦しく暮らすのか?

 その可能性に思い至った途端、のんきに死んでもいいなんて思えなくなった。

『わかった。なにがなんでも生きる。だからリンネ、頑張ってくれ』

 本気が伝わったのか、リンネは俺の思いに応えてくれた。
 時戻りの魔法の呪文は、彼女の手によって俺の体に書きうつされ、あとは無事に発動してくれるのを待つばかりとなる。